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2023年と呪術廻戦から学ぶ理想の生き様と、来年の展望

 珍しくなんだか取り止めもなく過ごしてしまった一年だった気がするが振り返りくらいしておくかと何気なくWordを立ち上げたら、意味を持たなかった点と点がするすると繋がって意味を成す線と化し始めたので、書き残しておくことにする。


人生の本流の部分

 今年は久しぶりにひどかった。ギリギリなんとかなっているように見せることはできていた気もする(できてなかったかも)が、とにかくいろいろうまくいかなかった。楽しく休息はできたけど留学する必要があったかというと必要はなかったなと素直に思うし、途上国で長期ボランティアをしようと応募していたものたちはことごとくうまくいかず、じゃあお金払ってでもインターンに行こうと思ったら希望地域で戦争が始まった。おとなしく東京で論文書くか〜と思ったら指導教員の放置癖と自分の先延ばし悪癖のコンボで心身病みかけたのでそれもなかったことにした。システム上卒業できるように仕込んでおいた昨年の自分の功績の名残の上でギリギリ息をしている。
 学びとしては、目標は義務感ではなくワクワク感で選べ。初めて行ったカウンセリングで言われた言葉を自分なりに解釈したが、ここに向き合わなきゃいけないターンが遂にきたかあ…と諦めの心地になった。完全にキャリア上あった方がいいという下心や義務感で書き始めた論文だったが、内容に知的好奇心が疼かなかったわけではないものの楽しく感じていたわけではなかった。指導不足は確実にあるが、多分そもそも論文を書くという行為がそんなに向いていないんだと思う。俯瞰的な視点でざっくり大枠の論理構造を作ることが好きなので目次を作るまでは楽しくできたのだが、みちみちと本文を書きながら微細な部分を詰めていく工程がとにかくくだらなく感じてなかなかしんどかった。週一で親身な上司とコンタクトが取れていればなんとかなったかもしれないが、環境にも恵まれなかった。しかし振り返って考えれば、そもそも論文を書きたい自分が存在していないので謎に苦しいのは当然なのであった。
 遂にきたか、というのは、自分は進路をワクワクよりも義務感で選択してきたためで、それを正義として良しとしようと言い聞かせてきたためである。年100冊以上小説を読み、某社の編集事業に乗り込む小学生時代から志していた出版・エンタメ業界よりも、恵まれた生まれの自分を許せないという葛藤を昇華するために自分を最も恵まれない人々に捧げようと国際機関を目指すことにした。決定後の方針自体は後悔していない(出版社は基本国内、日本語に終始する点で希望にも沿わなかったため)が、「決定の仕方」の方は後を引き、その後もワクワクより社会への義務感をとにかく優先させてきたと思う。しかし、「やるべきことをやっている人はやりたいことをやっている人に結局敵わない」と気がつき始めた頃から、この方針を転換させなければいけない日が来ることを無意識のどこかで予感していた。方針転換は面倒なので逃げ続けたかったが遂にその日が訪れてしまった、というだけの話である。もう少し前にうまく立ち回れれば良かったが、致命傷にならなかったので良しとしたい。
 蛇足だが、とにかく良い次の手を打って予防線を張り続けるのは得意なので就職活動は割とさっくりうまくいった。今気がついたが、まだ働き始めてもいないのに3~4年後に希望している転職に向けて必要なことをすでに始めていたりする。もしかしたら自分はめちゃくちゃビビリなのかもしれない。別にそれは悪いことではないけれど、事前に準備したってなんもかんもうまくいかない今年みたいな時期はきっとまた訪れるので、変化に直ぐに、柔軟に対応すること、準備してきたものを投げ捨ててでも目の前の機会に飛びつくことを恐れないよう、自戒していたい。

オタク的生き方の取り戻し

 やるべきことよりやりたいことを自分に許すよう変化するのが面倒だったのは、それが大変な思考の転換であることが分かっていたからだ。自分がやりたいことを素直に感知して実行するためには最も根っこの自己肯定感が試される。自分の人生は自分のやりたいことをやるためにあるのだと思えなければ日々やりたいことはできないし、わたしは自分の人生は社会を良くするためにあると決めていたので、自分のやりたいことをやろうとすると歪みが生じてよく分からなくなり、振り返るとなんならずっとやりたいこともよく分からない状態が続いていた。(地味にこういう人はインターネット上ではよく観測するなと勝手に思っている。)
 決定的に転換できた瞬間なんてものはなかったが、本当は全然興味のないくだらん土俵から降りること、反対に誰かがくだらないと笑っていても自分が好きなものに時間を割くことを少しずつ積み上げていくしかないし、今年はそれを少しずつ実行できた気がする。例えば留学先でレベルを下げた授業を取ることを自分に許した瞬間、論文をやめることを決めた瞬間、試験のためではなく楽しいから語学をやっている瞬間、生産的な時間を過ごさず自室で茫然とすることを自分に許した瞬間、くだらなそうだけど気になる映画を再生できた瞬間、ちょっとずつ心の硬い部分が解けていき、自己愛の根っこが伸びていくのを感じる。そうやってやっていくしかないのだ。
 そして何より、今年は実に高校ぶりにアニメ、声優にしっかりのめり込み直した。バイブルであるあさのあつこ『No.6』がアニメ化されたのが小6のとき。中高時代はとにかくアニメを観て、声優さんのラジオを聴いて過ごした。受験勉強も数々の声優ラジオと共に乗り越え、受験当日もユーリ!!! on ICEのサントラを聴きながら勇足で向かったものである。その後、まだ今よりオタクに風当たりの強かった大学一年時、学校の陽キャにビビってアニメ趣味を封印し、その後すぐ留学したため忙しくてなかなか戻るチャンスがないままずるずる2023年になった。
 きっかけは些細で、留学先でJapanese! Gojo sensei! と言われる機会があまりにも増えたのでさすがに履修する"べき"か…と呪術廻戦を再生したことだった。気づけば劇場版も観て漫画は最新話まで追い、7年ぶりにpixivにログインし、アニメイトに通いグッズや雑誌を物色した。夏から始まった2期は毎週オタクの母とテレビの前でギャーギャー言いながらリアタイし、Spotifyのアニラジも毎週チェックして、クリスマスは留学先でできたオタクの後輩とコラボカフェに行ってきた。バイト禁止でお金のなかった高校時代はやらなかった、コンビニでコラボグッズやウエハース封入のカードを集める楽しみ方も今年覚えた。一度タガが外れたら門の開いたダムみたいなもので、急流に流されるように毎クール最新アニメをチェックしたり無料配信の漫画を必死に読み漁ったりととどまるところを知らず、これが自分にとっての「好きなことを自分に許す」の根幹だな……とのめり込み具合に唖然としつつも納得する。そして何よりもこれが今年の自己肯定感の高まりに寄与したなと確信を持って思うのでちょっと笑える。それどころか、自分の生き方をこの手に取り戻しつつあるという強い生の実感を伴った感覚があるのである。これが「やりたいこと」の時にしか降りてこないアドレナリンなのだ。来年も存分に楽しんでまいりたい。

呪術廻戦に学ぶ強者の生き様

 せっかくなので呪術廻戦の話を少し書く。わたしが呪術廻戦を好きなのは何よりも滲み出る筆者の思想が極めてまともだからで、推しは禪院真希一択、原作16、17巻の家父長制(物理的に)ぶっ潰す編は全フェミニズム信奉者に胸張っておすすめ。
 しかしやはり呪術は噛めば噛むほど五条悟の物語なのであり、最初は何だあの目隠しと思っていたが、最近は学ぶところ多すぎる…とぐるぐる思っているのでメモしておきたい。
 五条悟と、道を違えたその親友である夏油傑の生き様は強者の生き方の方向性という意味で象徴的である。元々温厚だった夏油は最終的に非術師(弱者)を全員殺して仲間だけの世界を作ることを目指し、弱者に唾を吐く「最強」五条悟は教育の道を選ぶ。しかし、夏油は基本的に他人に優しく、寛容であろう、守ろうとし続けたからこそ限界を突破してしまったタイプで、自分も含めてこういうエリートって割といるよなと思うのである。全員やっちまおうとまでは思わずとも、大衆の政治への関心のなさ、絶望的な投票率の低さ、インターネット上の一言も噛み合っていない論争、無邪気に溢れ返る女性差別や異性愛規範、そういうものを目の前にしたとき、じゃあこの有象無象の諸君と手を取り合って仲良く民主主義やっていこうって明るく楽しく思いますか?と問えば、明るくも楽しくもない人は多い。わたしは少なくとも民主主義なんてクソ、自分と同じ"まともな"ことを学んだ仲間たちだけで政治ができればいいのにと思ったことがあるし、そういう立場からは夏油の選択は非倫理的であれど現実離れしたものにも思えずゾッとするのである。
 夏油に一定程度共感できる者として、五条の生き様は勉強になる。五条悟は夏油の離反を経て、10年後教師の姿で登場し、さらに自分の強さを権力の変革に使うことに決める。親友である夏油が極論に至ってしまったその原因を、有象無象の大衆ではなく最上層の権力者と彼らの作るシステムの改革に求めたのである。
「上の連中を皆殺しにするのは簡単だ。でもそれじゃ、首がすげ替わるだけで変革は起きない。そんなやり方じゃ誰もついてこないしね。だから僕は教育を選んだんだ……強く聡い仲間を育てることを。」
という台詞には痺れるものがある。原作では五条が生徒を「花」と呼び、人間である自分と花である彼らは分かり合えないという趣旨のことをこぼす場面があるが、それでも花を愛で、育てることを選んだのが彼なのである。
 現実だと誰、と仮定できない「最強」の人物として描かれるので五条に感情移入をしたり彼を目指そうと思ったりするのは難しいが、筆者が理想的な「持つ者」の生き様を提示するのに使ったキャラクターが五条なのだろうと思う(性格の悪さとのアンバランスさが魅力である)。わたしは自分の理想の老後を想像するとき、学校のない場所に学舎をもうけたい、子供が不幸にならない孤児院を経営していたい、ダンブルドアみたいになりたい(!)、みたいなことを漠然と思うのだが、五条悟の生き様から、またもう少し解像度が上がった将来像を描くことができるようになった気がする。
 皮肉にも、五条悟を突き動かすのは常に好奇心と愛であり、夏油傑は大義の人である。やはり、やるべきことをやる人はやりたいことをやる人には敵わないのだ。

この二人の最高のブロマンスが呪術廻戦の最大の魅力の一つなので、そういうのが大好きなわたしみたいな人は今すぐに見てください。そして五条と夏油、ダンブルドアとグリンデルバルドの関係性の類似についてはまたどこかで話したい。こういうふうに一つの作品を深く掘り下げていくのが大好きなんだよな〜と心が震えて思い出した2023年。

世相とキャリアプラン

 一度だけ訪問したことがあり、秋からまた行こうと思っていたパレスチナは戦火に塗れた。いつからこんな世界に、とかいうメディアが散見されたが笑ってしまう。元々そういう世界だったのを君たちが必死で見ないようにしてきただけじゃないか。
 とはいえ、ロシアとイスラエルという国連に加盟する主権国家が堂々と他国の領土を侵攻したりジェノサイドと認定できそうな大虐殺を行ったりするのはそうよくあることではなく、人道支援を志す者としてはキャリアを一考する必要性に迫られる。
 というのも、わたしはこれまで難民支援を生業にしたいと思って勉強したりインターンをしたりしてきたが、それは国家が国民の人権を守るという主権国家体制のルールの下で最も脆弱なセクターが、どの国家からも保護されない難民、無国籍者であると考えたからだった。それ自体は間違いないと思うが、じゃあそれ以前に、国家自体がどっかの国や自分の国の領土で人を殺していたら?というのは、意図的に考えないようにしてきたのだと思う。それを考えると紛争地で勤務しなければいけなくなるからだ。難民キャンプだってもちろん紛争地の近くにあることは多いが、近くと直下は全然話が違う。自己肯定感がどうとかはあくまで安全な場所にいる前提の話であって、わたしは自分の命は可愛いし守りたい。でも世界中の人が考えるのやめちゃった結果がこれだもんね〜と思うと、自分は考えて関わり続けないとだめだなとしっくり腑に落ちた。考えるだけでもいいが、来春から働く場所は色々な業界のプロジェクトを持っており、防衛・戦略に関連した仕事に一つでも関わって関心の度合いや適性を確かめられたら嬉しい。


 タラタラとしたためたが、とにかく今年は何も軌道に乗らなかった影響でたくさん寝てたくさん旅行に行ってたくさんの作品に触れることができた貴重な一年だった。来春以降は仕事を続けられればハードワークに身を賭す予定なのでどれだけ仕事以外のことができるか未知数だが、また何か新しい良作に出会ったり、無理だったら今年見つけた作品たちをしゃぶり尽くしたりしたい。創作物への関心が政治や法への問題意識と繋がり、はたまたそれが転じて仕事に繋がる日がいつか来ることも期待したい。激務にとにかくビビっているので、大きな目標は持たずとにかく生きて完走することを目指し、たまにジムに行ったり、旅行に行ったり、美味しいものを食べたりしようと思う。呪術廻戦3期まで生き延びるぞ〜。

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