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アイデンティティクライシスに陥っているので人生を考え直していくメモ

 ファーストキャリアの就職先が決まってから、これまで夢物語のように描いてきたキャリアパスと、なんとなく流れで手に入るような気がしていた安定したプライベートが、次に訪れる「本物」の事象として人生に降ってきてしまい、完全に持て余して泣いたり泣かなかったりする心に波のある日々を送っている。
 そんな中でも、自分でよく考えつつ、たくさんの親しい友人たちを頼り(本当にありがとうだし、人を頼るのは今まであまりできなかったことなので自分も褒めたい)、なんとなく見えてきたものもあるので気づきを自分のために書き留めておく。

全て事前に計画を立てるのは無理(若いうちほど可能性が広すぎるので)

 わたしは国際機関(内容はぼかすが)で働くことを目標にして、そのために必要な要素を一つずつ潰すように今のところ人生を過ごしてきており、最短で国連に辿り着くためのキャリアパスを前提に一本道を敷いてきた。
 しかし、いざ就活を終えて、目の前の決定した一歩と、キャリアの最終ゴール(自分の行きたい場所ではなく、社会に対して達成したいこと)を踏まえて間の道のりを考えてみると、実は他にも無限に選択肢があることに気づく。国連に行くルートも行かないルートもあるし、行くにしてもいつ行くかで全然パスが変わってくる。
 特に行かないルートはあまり考えてこなかったのだが、ずっと民間にいることメリットも徐々に見えてきた。大好きな起業家のインフルエンサーがわたしと全く同じ(分野も具体的なチョイスも似ていた)この選択で迷い、別の方の道を取って成功し、しかもプライベートを完全に充実させているのをちょうど見ているのもあり、どれが取れるのか、どれを取ればいいのか完全にわからなくなりフリーズしてしまった。これまで進路ややりたいことを聞かれたときとりあえず「国連で働きたくて」で逃れてきたのもあり、アイデンティティがぐらつくはめになった。
 正直、一社目でそれなりに働いてみれば自ずと向き不向きがわかって行くべき道は判明すると思うのだが、それまであと2~3年間、「わからない」不安を抱えたまま生きなければいけないこと自体をもう圧倒的に重荷に感じている。自分は結構柔軟なタイプだと思っていたが、計画を立ててその通りに則りたいタイプだったっぽい(大きな気づき)。
 でもこれはどうにもならないので抱えていくしかなさそうだ。今できることは二つで、一つはどの可能性が一番いいのかをしらみ潰しに見ていく作業をすること。迷ってしまうのは、各々の道の詳細をよくわかっていないからだと助言をもらった(確かに、詳しく知っていけばやりたいやりたくないは感覚で分類できるはず)ので、それを知っていったりやってみたりすることを意識しながらここからの数年を過ごしたい。二つ目は、今のパッションを無くさないように関連分野の情報に触れ続けること。関わり方は迷うものの、自分がここかなと決めている分野は結構迷いなく好きだなと思っており、そのしっくりくる感覚を忘れかけた時に一番気持ちが浮遊して迷っている気がする。特に働き始めたら関わる機会はグッと減ると思うけど、ボランティアをするなり、イベントに参加するなり、論文を読むなり、同じ分野の友人たちと話すなり、忘れないように意識していきたい。

優先順位が変化しているのかもしれない

 20そこそこくらいまでは圧倒的にキャリア(とそれを通じて達成したい社会変革)が一番で、それ以外のことは割とどうでもいいと思っていた。
 しかし、徐々に自分のデフォルトの生活水準が高すぎてキャリアに全振りは難しい(わたしの目指す道は途上国や紛争地での業務が多いので)ことがよくわかってきて、ギリギリその道に向けて専門性を磨ける可能性があり、かつ経済的に自立しても生活水準を保てる就職先を選択した。(ほぼ唯一の両取りできる場所だと思うのでご縁があって本当に良かった。)
 ただ、同業の先人たちのキラキラプライベート(業務は全然キラキラじゃなさそうだが)を見ていると、わたしにとってはそこまでは必要じゃないな…と思うことも多々ある。風呂トイレ別の綺麗で安全な一人暮らしがしたいし、お金の心配せずNoshの弁当を毎週頼みたいし、お気に入りの香水も常備したいし、ペアリング付きのコースディナーにもたまには行きたいが、6桁7桁する鞄を複数欲しいとは思わないし、旅行でハイクラスなホテルに泊まりたいとも思わないし、タワーマンションにも持ち家一軒家にもあんまり惹かれない(さっさと移住したいから身軽でいたいのも大きいが)。
 そこで、ここからはいかに早く自分の中の水準をクリアして、キャリアに焦点を当て始めるか、という話になってきそうだ。

生活水準(お金)

 キャリア以外の自分の中のラインには、生活水準(お金)とライフパートナーの二つがある。お金については、心身健康に働いて順当に稼ぐことと、周りに影響されて水準を上げないことの二つを気をつけておけば時間の流れとともに自然にクリアできる。後者については、例えば上で挙げたような、ハイブランドのバッグを揃えたくなってしまう、みたいなものを恐れている(なぜならかかる額が天井知らずなので)。わたしは結構周囲の影響を受けやすいので、色々な職種、年齢、国籍の友達と会い続けて色々な価値観を得続けることで影響を回避していきたい。

ライフパートナー

 問題はライフパートナーの方で、わたしはキャリアを第一に考えると働く国を2年おきに転々とする可能性があり、え、こんなキャリアパスで誰かと暮らすとか無理なのでは?と正直常々思ってはいたのだが、それが現実味を帯びるフェーズが来かけていて大きすぎる悩みになりかけているところだ(実際国連職員の離婚率は高いらしい、そりゃそう)。
 ところがこれについて親しい友人から、「あなたは自分のキャリアを一番と考えているようでいつつ、実際には大好きなパートナーを得てその人と暮らせるかを第一に考えているのでは、だからこそ困っているのでは」という指摘をもらい、結構脳内がひっくり返ったような気持ちになった。確かにわたしは自分ひとりで生きていく寂しさにこれから何十年も耐えられる気がしないし、特に東京にいる間は大好きな友人たちのおかげで生きられそうなものの、別の国に行こうものなら心がやられてしまいそうだ。加えて、自分のキャリアは場所を転々とする可能性がある=逆に言えば(専門性さえあれば)どこでも働ける可能性があるので、パートナーがいるのであればその人に合わせることは十分可能な気もする。
 どんなパートナーを選ぶ(選んでもらう)のかについては考えることがありつつ(働きながら新しい人と出会って互いをよく知り合うなんて無理だろとか)、運とタイミングの占める割合も多そうなので、とにかく来た流れを掴み損ねないことを意識してどっしり構えていきたい。(わたしは自分で掴みにいけない人だというのも最近友人たちに言われてよくわかったのでつらいところだが)
 生育環境もあり結婚している友人も数えるほどだし子供のいる友人はいないものの、もうすぐ25ということでなんとなく焦る気持ちもあったのだが、目指す界隈の日本人トップである中満泉さんが初めてお子さんを持ったのが37歳と読み、なんか焦るには早すぎるのかもとやっと思えた。わたしは年齢によって自分の価値が逓減していくとは正直思っておらず、キャリアも人生経験も積めば積むほど面白い人間になるだろうし、見た目だって金を稼いで金をかけるだけ美しくなるだろうと楽観視しているのであまりそこに不安はないのだが、それでもなんたって「ふつう」に引っ張られる自分がいる。あとふつうにさみしい、わりと。この人!という人と安定した関係を築くまで、日本のふつうに引っ張られすぎないように、色んな国の色んな人と話したりコンテンツに触れたりしていくしかないよなあ。

波が来てしまった原因は多分自分のことを「こうだ、ああだ」と決めつけて、それを前提に物事を決めていたこと

 これからに向けての大きな学びはこれ。
 例えば、わたしは「自分のためだけには頑張れない」ことに早いうちに気がつき、自分が生きることに自分の中で正当性を与える唯一の方法として完全に利他的な仕事を生業にすることを目標にしてきた。この方針自体は今でもかなりしっくりきているものの、前提としてきた「自分のためだけには頑張れない」ことは結構緩和されて変化してきていることに今回気づいた。わたしはわたしの根幹を支える水準高めのプライベートをちゃんと満たしてあげたいと思うし、大切なパートナーがいる状況になればその人のためにも絶対頑張れると今は思う(後者は利他的な側に当てはめて考えることもできるけど)。
 毎日変わらず「自分」として生きているので自分の変化というのは気づきづらいものだけれど、わたしはこの数年でものすごく変化したし、これからもきっと変化していく、ということを受け入れる必要があることを覚えておきたい。一番大きな変化は多分愛着タイプが強い回避型から不安型に近い安定型になったことだと思う。最も近い他人が過保護過干渉の親だった数年前から、安定型の近しい知人とべったり過ごしたことで変化したと思われるが、そのせいでキャリアとのバランスを考えた時に完全にプライオリティが下だったプライベートのことが、キャリアと両立しないとと思えるくらいに自分の中で重要なことになった。孤独であることを喜んでニヒルに掲げていた数年前の自分とは別人のようである。
 わたしは友人曰く自分の感情を思考で制御しているように見えるとのことで、実際にそういう側面が強いんだなと今回自省してよく理解できた。MBTIのT型の宿命だろうけど、わたしは思考を挟まずに自分の感情を見られないので、感情に本質的に耳を傾けるのがすごく難しい(結果、こういう文章をだらだら書いている)。今回は、考えで気持ちを統御した末の結論を優先し続けてしまい、変化した気持ちがしばらく見えていなかった、という形でわたしの性格のこの要素が悪いように顕現したのだろう。
 順当に生きていければ、わたしはまだまだ人生の序盤で、これからもっと大きな変化を経験することになるんだろう。変わらないものなんてないけれど、揺らぐ自分と他者をおおらかに受け入れる態度だけは変わらないように柔軟に方針を決めながら生きていきたい。


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