Monokuro

統合失調症を持ちながら、乳ガン、出産を経験。生きにくさを感じながら、育児や病気に立ち向…

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統合失調症を持ちながら、乳ガン、出産を経験。生きにくさを感じながら、育児や病気に立ち向かっている。誰かの生きるスパイスになればと思ってます。

最近の記事

手術

5月より仕事を休み、5月18日手術。 私は、手術時の撮影と撮影DVDを同意した。 医療の発展のためなら、恥ずかしさなどなかった。 5月20日 手術 左乳房全摘術 センチネルリンパ節生検 ティッシュエキスパンダー挿入 6か月後 インプラントへ 私は、再建を希望していたので、ティッシュエキスパンダー挿入した。 さすがに、手術の前日は寝れなかった。 私は、メンタルの病気を持っているのでさらに眠れなかった。 癌が3月に見つかり、怒涛の3か月。 仕事もいろいろ大変で、休みの日に病院。

    • 治療費について

      ここでありがたかったのは5月から仕事を休みに当たり、申請して傷病手当をもらえる事だった。昔は、ガンになったら仕事辞めなきゃいけないと思いがちだが、今は治療しながら働ける時代だと思う。 月に9万ぐらいもらえて休職と言うかたちを取ったからだと思う。 収入によって人によって金額は変わると思います。 それから、ずっとかけていた生命保険もいただけたからありがたかった。 この時、彼氏と同棲していてもう少し広い所へ引っ越しして体調を整えようとの事で新しい所に引っ越しもその費用で出来た。

      • 乳ガンそれから

        乳ガン検診で、組織を取ってからMRIとPETとCT検査がある。 私は、CT検査で造影剤を使用し、全身がかゆくなり夜中病院に駆け込む。 治療を始める前から、大変な事ばかり。 仕事との掛け持ち、頭がパンクしそうだった。 検査結果 は病期 2期 腫瘍の大きさ 2.7cm,1.4cm 左胸に2箇所しこりあり リンパ節転移 なし 浸潤がん 2015年 5月18日 入院 2015年 5月20日 手術 左胸筋温存乳房全摘術 センチネルリンパ節生検 乳

        • 不妊治療その2

          まず、注射フォリルモンPを4/23,4/24,4/25と受ける。 下垂体性腺刺激ホルモン注射用 4/27超音波検査、ガニレスト注射 4/28ガニレスト注射 4/29ガニレスト注射 超音波とホルモン採血で十分な卵胞の成熟を確認できたら、排卵日を決定します。 私は、自分でお腹の注射が無理で病院に直接注射に行きました。 仕事のシフトを午後からにして、午前中に病院と言う感じです。 4/29HCG注射 これは21時に来院しました。 朝、彼氏の精液を持参 5/1排卵  8時30分来院。

          特別

          私の場合は、特殊なので普通の方々は普通妊娠は出来ると思います。 私は、婦人科で妊娠しにくいともともと言われてるので。 だから、私は家族にこだわるのです。 たぶん、苦労してるので神様からのプレゼントだと思います。

          不妊治療

          乳ガン発覚後、お医者さんから38歳と言う事でお子さんの事は考えていますかと言われ、子供は欲しいと伝えると、卵子凍結を進められる。 お金がない私と、子供は諦めていた事もありお医者が進めてくれていろいろ考え、乳ガン治療の励みになるかもと思い、卵子凍結を決意する。 癌治療は、手術をして癌を摘出しても体内に散らばっている可能がある。 なので、抗がん剤治療も行う。 抗がん剤治療をしてから、摘出もありますが、それぐらい癌とは手強いものである。 この抗がん剤は、治療すると子宮にかなりの

          不妊治療

          乳ガン

          まず、お店の店長をしていたので病院に行く休みを取るのも大変だった。 その時は、一人暮らしをしていたし貯金は微々たるもの。治療には仕事を休まないといけない。ただ、ありがたいことに5か月間お休みをいただける事になった。 ここでありがたいのは、傷病手当をいただけたのだ。本当にありがたかった。 店長と言っても、アルバイト。大会社で働いていて本当に良かった。

          その時は突然

          左胸に違和感があり検査に行った。 初めはそんなに気にしてなかったが、エコー検査マンモグラフィーで検査に引っかかる。 後日、組織を取る。 この組織は、部分麻酔で組織を大きい注射のような物でとるのだが、この痛さが一番痛い。 陽性か悪性かを検査するのだ。 そして、左乳ガンステージ2。 私が38歳の時だった。 すべてが真っ暗になった。 まだ、子供も産んだ事もない私だったのに、死に直面したのだ。 しかし、死に直面すると生きたいと思うものだ。

          その時は突然

          一般就労にチャレンジ

          ここからが、障害を持ちながらの就労の大変さを感じる。 体調がいつも良い訳ではない。 とくに私は妄想があるので、何か話してても悪口を言われてるのではないかと考えたり、考えすぎる所があり、なかなか流せなかった。 しかし、美容業や清掃業にくらべきちんと休憩もあり時間で帰れるなど環境が良く頑張っていた。 5年間同じ仕事をして、店長まで任せてもらえるまでになった。 しかし、家に帰ればグッタリ疲れる。 無理はしていたと思う。障害を隠して就労は覚悟がいる。 だが、店長までいくと面接なども

          一般就労にチャレンジ

          就職活動

          就職活動は、ラッキーな事に障害者求人でスムーズに決まる。 仕事が清掃で苦手な分野だったが、チャレンジする事にした。 障害者求人との事で、仕事内容は一般労働よりは軽めな仕事で、ロビーの清掃をメインに掃除をしていた。  体調が良く、休まず一年間仕事をした。 すごく体調に気を使ってもらいながら仕事が出来た。 特に、一般就労に自信がない人はぜひ障害者就労でまずならして、仕事をしてみてもいいと思います。  しかし、苦手な掃除だったためやはり販売業をしたいと思い始めた。 私の祖母は、未

          第2章

          病院を退院して、家で静養がてら帽子を作ったり、パンを焼いたり趣味で息抜きを覚えて体調が少しずつ良くなり、仕事を始められるぐらいになった。 この病気は、決まった時間に起きて活動するという事が出来なくなってしまうので、そこは苦労しました。 まずは、障害者雇用の求人を探してみた。 就職活動中は、障害者就業・生活支援センターの支援員の方がサポートしてくださって、一緒に職場を見学に行ってくださり本当に支えになりました。 福祉の力はすごいと思った。 自分一人で抱えるのではなく、サポート

          この15年間

          私は、発症して15年。この15年で、薬の調整や、気持ちの切り替えをしたり、つらい時は、何も考えず寝るなど、メンタルと上手く付き合いながら、いままで生きている。 「死にたい」と思った事もある。しかし、「死にたい」は、もっと正確に言うと死にたいのでなくて「ラクになりたい」ということだ。さらにまた、「もっと違う人生を生きたい」ということです。 ただ言えるのは、あなた自身がまず自分の味方になることです。 諦めるとは、「事情・理由をはっきり見定める」という言葉もあります。 「自分の状態

          この15年間

          気付き

          私が、統合失調症になって出来ない事が多いなあと思った。 ・焦らないことが一番大事 ・効率が悪くても自分を責めない。 ・自分が悪いのではなく病気が悪い。 ・自分に要求しない。 ・精一杯やっているならそれでいい。 ・完成度とスピードを求めない。 ・「いまはこれで良いのだ」と思うことにする。 ・「健常者のように」「以前の自分のように」と思わないことにする。 いまの自分には「小さなこと」しかできないけれども、その小さなことができる自分を誉める。 「ちいさいことをかさねることが、とん

          統合失調症について

          正しい知識が必要だと思います。 私の場合、物音が気になったり、不眠症になりはじめ、ひどい時は、幻覚や妄想などで興奮状態になりました。 現実を言うと、隔離部屋で3日間眠れず興奮状態でした。 本当に、精神科の医療に助けられ薬物療法を受け精神的にだいぶ落ちつく事が出来ました。 そして、一年半と言う期間病院に入院し、妄想から抜け出しました。 しかし、すぐには、社会には出られずデイケアにお世話になり、社会生活へ向けての準備をしました。 この頃は、病院の先生の言う事をよく聞いて本当に

          統合失調症について

          病気の事について

          世間では、統合失調症のイメージは、「終わった人」と思われていると思うが、実は統合失調症は強烈に「社会的な死」に直面する病気なのです。 ・良くならない病気 ・めずらしい病気 ・人格が荒廃してしまう病気 ・人生が終わる病気 これらはすべて偏見であり間違っています。 統合失調症の人は、狂ってしまって訳の分からなくなった廃人なのではなく、癌のように病気に対処し正常に闘病している正常な大人だということです。 私は、この偏見を変えて行きたい。 この内容は、「私はいかにして統合失調

          病気の事について

          一番大変だった時

          今、考えるとこの時きちんとお薬を飲めば良かった。体調が悪いのが、自分で受け入れる事が難しく、薬を飲まない時期だった。さらに、眠れなくなり人からつけ回されているのではないか、テレビから話かけられているなど妄想がひどくなり、普通では考えられない状態になり、生活出来なくなり、家族も巻き込み、強制的に精神科病院へ入院。 この時が一番きつかった。だか、薬をきちんと飲み精神的にだいぶ落ちついた。 この時に、統合失調症と言う病名がついた。 でも、この病名がついた時に私は楽なった。 自分の生

          一番大変だった時