おいしいもの、うつくしいもの、散歩、旅行が好き

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インニョンに寄せて

薄青い膜を通したような、明かりとも呼べない朝の光 絶え間ない雨音が、微睡の世界へと呼び戻す 嗚呼、こんな日は出かけるのなんてやめにして、まもられた安全な場所でガラス越しに外の世界を見つめていられたらいい 願いも空しく、金曜日の朝の時間は過ぎる 昨日までの真夏の熱を嘲笑うような肌寒さに、ひさかたぶりに牛乳を温める 灰青色の外の世界と同じくらい低い、たっぷり注いだカフェオレの彩度 こくりこくりと喉を通して、靴を履くためのちからをためる 滑りの良い地面に肩をこわばらせつつ、ど

    • ただそこにある

      誰にでも、海が必要な瞬間、があるのではないかと思う。 少なくともわたしには、紛れもなく海を必要としている時があった。 2021年夏。世間の風潮がvs.コロナからwithコロナに移り変わりつつある頃、父親に重い病気が見つかった。 いわゆる基礎疾患に類する病で弱った彼を流行病から守るべく、友人からの食事や遊びの誘いを全て断り、学業と仕事、その他必要最低限の外出を除いて他人と会う機会をひたすら削った。 父の命、母の将来、わたしの将来、経済、健康、それらすべてに対する茫漠たる不安

      • いつかの伊勢

        お伊勢参り、したくない? そんな友人の一言で、たまたま学食に一緒に並んでいた女子四人での伊勢旅行が決まった。 大した計画もなく、なぜか伊勢からかなり離れた志摩半島の先の方に宿を取り、二日目は鳥羽水族館か、むしろ早めに三重を離れて名古屋に寄るか、などとゆるりと話して、気づけば当日を迎えていた。 新幹線のぞみの速さに驚き、特急いせの長閑さに驚き、伊勢市駅に到着したのは13時すぎ。 わたしたちの頭は空腹と伊勢うどん、そして出来立て赤福にのみ支配され、正直お伊勢参りどころではな

        • Mirror, mirror

          醜形恐怖症、についてご存知だろうか。 これは、「実際には存在しない外見上の欠点やささいな外見上の欠点にとらわれることで、多大な苦痛が生じたり、日常生活に支障をきたしたり」する病気のことだ。(醜形恐怖症-10.心の健康問題|MSDマニュアル家庭版より) コンプレックスが尽きずちょっとでも見た目を良くしたいなんて思春期あるあるだね、と言ってしまえばそれでおしまいかもしれないけれど、傍目から見ればあまりにも些細なことを気にして苦しむ人がいる、ということは知っていてほしいと思う。

        インニョンに寄せて

          トイレットペーパーの芯

          トイレットペーパーの芯を替えたくない。 飲み屋で聞こえてきた言葉に思わず耳をそばだててしまった。 片耳で聞いたところによると、後ろのテーブルの彼らはトイレットペーパーの芯を新しいものに交換するのが嫌すぎて、どんなに残り少なかろうとそのわずかなペーパーで頑張るのだそうだ。 完全になくなると次の人がかわいそうだから、できればお気持ち程度には残しておく。なくなっちゃったらしょうがない、その時は交換しないで去る。 まあたしかに、気持ちはわかる。 めんどくさいもん。 どうせたぶん次

          トイレットペーパーの芯

          ことばあそび

          「便器のように真っ白なカップ」。 多和田葉子さんの作品『雲をつかむ話』に登場する一節である。 初めて彼女の著作を手に取り、この表現に出会ったときの衝撃は今でも忘れられない。 食器を形容するのに便器という言葉を使うなんていう発想、普通あります?? 少なくともわたしにはなかった。 にもかかわらず、ひとたびそう表されるとそれ以外の適切な言葉が何ひとつ思い浮かばないのだから不思議なものだ。 独特にして的確。 一瞬にして魅入られてしまった。 そんな多和田葉子さんの『太陽諸島』を

          ことばあそび

          食べること、生きること

          食に対するわたしの執着心は、ものすごい。 美味しいものを食べることが大好きで、嫌いな食材は全くと言っていいほどない。 小学生くらいまで食わず嫌いばかりでトマトもきのこも全部だめだったはずなのに、今は不思議なくらいになんでも食べる。 一体いつからこうなったのか、自分でもわからない。 好き嫌いなく残さず食べるなんて、幼少期の食育がしっかり身についたイイ子じゃないかと思うだろう。 わたしもそう思う。 わたしに食べられる命に、そして彼らが食卓に乗るまでに携わる全てに、わたしは感謝

          食べること、生きること