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【⚽️日本サッカーを愛そう】【ジュビロ磐田】さぁ開幕!改めてこの本を読んだらジワジワきた件。

ジワジワきた。

発売当時この本を読んだ時はどちらかというとヒストリーブック的に捉えていて、懐かしみながら時系列を追うのがメインでした。

しかし2022シーズン終了後のけーすけさんと五百蔵さんのスペースを拝聴した時この本が話題に挙がっていて、
なるほど3度目の「降格」という現実と共に改めて読み返したら色々と学びがあるんじゃないかな、と期するものがありました。


てことで今回は、
本の中の印象的な2か所を引用して、新シーズンに懸ける想いを整理してみたい。

結論から言うとまとめ終わった時、
かつてのジュビロ磐田との共通点や改善点を見つけて少なくない期待がジワジワとやってまいりました。

その期待ってのはまだ儚く脆いものなんですけど、ちょっとずつ良い方向に向かっているんじゃないかな、と。
開幕直前にそんな想いが共有できれば幸い!!

それではひとつづつ。



■P180

こんな一文があります。

俊哉さんをはじめ、上の人たちは試合から遠ざけられ、フラストレーションを溜めるようになった。
下の若い選手たちは、実力で中山さんや名波さんや服部さんを押しのけたと勘違いをする人間と、自分が上の人の代わりに出ていいのかと委縮する人間の大きくふたつに分かれた
ジュビロ磐田、挑戦の血統より抜粋

・・・もぅ絵に描いたような世代交代失敗の末路

これは2006年の回顧録です。若手もベテランも、それからチーム自身も、誰もハッピーになっていない。



若手育成問題に対してはどうしても名波さんの名前が挙がりがちですけど、個人的には2003〜06辺りの山本昌邦ーアジウソン時代がこの問題の本丸だと思っています。

この時は目標の一つに”若手の成長を促しながら主要大会でのタイトル獲得”があったと記されています。
よし、そういう事なら中山、名波より若手を試合に出そう! 悲しいかなそんな単純な戦術が実行されていたのかもしれません。

ここで個人的に強く思うのは、世代交代失敗の原因は得てして若手側にあるということ。
詳細は以下のnoteにてまとめましたが、憧れや尊敬とは別にどれだけ本気でレギュラーを奪いに行っているのか。

少なくとも当時はチームの雰囲気作りからしてそういう風土は無かったように見えます。


しかし!!

P180に凝縮されていた負の歴史に対して、2023シーズンのジュビロ磐田は少しだけ希望が見えています。それはレギュラー争いに若手が本気で絡んできそうだという気配。

普通はですよ、
失敗した組織はメンバーを入れ替えるのが当たり前なんです。でも色々あってそれが出来ない今シーズン。
であれば、オレらが何とかしなきゃ!やらせてくれ!!そんな主張が試合に絡めていなかった選手、レンタルで外にいた選手から出てきて当然でしょう。

いやむしろ出てこなければオカシイ。

つまり雨降って地固まる的に、そんな風潮が出来上がっているのではないかと察します。

そしてこれ。

高校生が開幕スタメンを狙っている

当たり前にこういうコメントが出るのが嬉しいじゃないか!
実績が無くても、もうプロなんだ。本気でスタメンを狙って欲しい。

そしてこの勢いが若手側に波及する。ベテラン勢が正々堂々と受けて立つ。それを横内さんがしっかりとマネジメントする。
そうなれば名波さんが心配した”勘違いする若手”と”委縮する若手”は発生しないはずなんだ。

そう願っています。



■P50

荒田がオフトに言った。
「ぜひ、力を貸して欲しい」
「ジュビロはどういうミッションの下に進もうとしているのでしょう?」
「世界をめざします」
「やりましょう」。オフトは言った。「できれば3年、チームを預からせてください」なにより大切なのはクラブのスタイルを確立することだ。オフトは思った。やらなければいけないことはたくさんあるが、選手もスタッフも”サッカーピープル”のこのチームなら、必ずめざす場所に到達できるはずだ。
ジュビロ磐田、挑戦の血統より抜粋

これは黄金期の基礎を築くハンスオフト招へいのシーン。この会話にはとても重要な要素が2点ほど隠れています。

ひとつ目は、この会話が行われたのが1993年末ということ。
1993年と言えばいわゆるドーハの悲劇があった年です。今年 森保さんを中心に再びクローズアップされたワードですが、この時の代表監督は他でもありません。

ハンスオフトでした。

ワールドカップ(予選)で健闘した日本代表の頭脳を翌年チームの監督に据える。・・・どこかで聞いた話に似ていると思いませんか?


余談ですが、
オフトとジュビロの関係はオフトが日本代表監督になる前からありました。ルーキーだった山本昌邦、柳下正明、山内篤らを鍛えるために1982年にレジェンド杉山さんが臨時コーチとして呼び寄せたのがきっかけでした。
つまり代表監督として結果を出す前にジュビロはオフトを知っていたんですよね。

またジュビロにやって来たオフトが代表監督になるまでに日本で研鑽を積んだチームがマツダ、つまり今のサンフレッチェ広島なのです。
広島→代表→磐田のオフト。広島→代表→磐田の横内さん。ここにも運命的な何かを感じずにはいられません。

そして、
チーム首脳陣に代表との接点が多いことはポジティブです。見てもらえる機会が増えるというのも事実ですし、目線が上がる、すなわち代表基準でチームの強度が判断されるようになるというのもあると思います。

そういう意味でも、ワールドカップ直後の横内さんの招へいは熱かった。

監督未経験というビハインドはそれなりに覚悟しなくてはいけませんが、俊哉さんが「ぬるい」と言ったチームにメスを入れるためにはこの上ない人選ではないでしょうか。


そして、

磐田からも代表へ。

この関係性もまた同じく熱い。これが将来的にクラブの糧になることはまず間違いないでしょう。本当に恵まれた環境だと思います。

選手として代表にあまり縁のなかった藤田俊哉が裏でそのタクトを振っているのなら実に興味深い。

少なくとも磐田を取り巻く気流は良い方向に流れ始めている。そんな気がしてなりません。



P50の一文のもう一つの重要な点。それが「3年」というキーワード

はっきりと書いてあります。新監督が3年という期間を要求し、社長が世界と引き換えにそれを受け入れたことが。

そしてそれは3年後の1996年に掛けて、キッチリと果たされたのです。

チームはこの間に鈴木秀人、田中誠、服部年宏、藤田俊哉、奥大介、名波浩、福西崇史、山西尊裕、清水範久らの新人を獲得、育成。
それだけではありません。ワールドカップ得点王のスキラッチ。それからセレソンキャプテンのドゥンガを連れてきて、まさしくクラブのスタイルを確立しました。

そしてその2年後、
1998年に満を持してのリーグ制覇。


オフトの「3年」に対して、社長も、スカウトも、(ビッグネーム獲得にお金を出した)会社もスポンサーも、それから期待された若手も、それを引継いだ磐田の指導者も、
全てが石の上に3年座って手にした黄金期だったのです。



■最後に

監督未経験の横内さんの就任は、そこそこのリスクをはらんでいると思います。ここで言うリスクとは、1年でJ1に戻れないかもしれないというリスクです。
クラブの目的が果たしてどこにあるのかでその捉え方は大きく変わってきます。

昇格よりまずチームのスタイルを築こうよ!と主張する多くの人は、オフトの3年を知っている方なのだと思います。それはその時代を見た人もいれば、この本から学んだ人もいるかもしれません。

大事なのは、過去の黄金期は降って湧いたものではなくかつてのジュビロ磐田が自分自身で創りこんだものであるという真実。

多くの人は、それが見たいんですよね。



難しいシーズンになるとは思います。

が、
僕らはかつてこの手で栄光を掴んだ「挑戦の血統」の所有者であることを忘れてはいけません。

チームもサポーターもチャレンジ(挑戦)していきましょう!!




本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!



**補足**
「挑戦への血統」

クラブの酸いも甘いも描かれたこのような本が出版されることは本当に幸せなことだと思います。羨ましがっている他のサポさんはたくさんいるのではないでしょうか。

絵になるんですよ。ジュビロ磐田って。
本は2018年でその回顧録が終了していますが、続編出版が決定し、そこに再び黄金期へ上り詰める様が載っていれば最高ですね。

楽しみに待ちたいと思います。
そして、これからもずっと絵になるジュビロ磐田でありますように。


さぁ、開幕です。







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