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#255 上方修正

ブログやSNSってのはトライ&エラーを繰り返しながら世間の反応を見るにうってつけだよね。
ってことで僕はこのnoteにおいてビュー数を指標値と定めてあれやこれやと試行錯誤を繰り返しています。

書くべきものは、
感想なのか意見なのか。情報なのかネタなのか。「ですます」で語るべきか。「である」で語るべきか。タイトルはどうだ。見出しはどうだ・・・。


2023年のはじめ。
過去の実績をもとに年間10万ビューを目標にしてみた。過去の10万が1年以上かかったことを思えば決して楽な数字ではない。

が、
恐ろしいことに8月ぐらいには達成されてしまうという天変地異を体感した。会社なら「ていうか目標低くね?」と嫌みのひとつも言われて逆に評価が下がってしまうレベルだ。

私は「そんなことありません。」と架空の上司に詫びを入れ、上方修正を申し出た。年間目標は15万ビュー。残り4か月で1.5倍。やるならこのくらいの方が面白い(多分)。

そこから何が出来るかの試行錯誤がまた始まった。正直本業(昼の仕事)より燃えた。



■スベった

2023年11月16日。
ようやく世間が冬らしくなってきたころ、なんとこの上方修正は達成された。驚いた。

WEBニュースに取り上げられるなど、思ってもいなかった追い風も吹いた。これまでゴミ捨て場にあったような記事が、フォロワー数万越えの方に拾われて突然蘇生したこともあった。


こんなこともあるんだなぁと素直に嬉しく思ったと同時に、胸をかすめた本心。それは喜びでも高揚感でもなく、

いっぱいスベったなぁー
これである。



■好きか

その昔、とある著名人の方が

人としての進化を促進したいなら
インプットは良質なものを選べ。その代わりアウトプットはとにかく数をこなせ
と言っていた。

noteを書くことが人としての進化になっているかはさておき、これは一理ある。この時僕は、打率ではなくヒットの数を意識するようになった。
バットは振らなきゃ当たらない。であればたくさん振ってみよう、と。


実際のところビュー数だけ語れば上方修正達成ではあるが、打率となると評価は怪しい。そう、ヒット作の裏には死ぬほど駄作があるからだ。

思い返せば・・・
あの夏の日もスベった。筆が走りまくったあの夜もスベった。意気揚々としてスベった。加筆修正を加えてスベった。

私はこの一年、死ぬほどスベった

そして、
語りつくせぬスベり涙の夜を救ったある一つの感情があることを知った。

好きなら良いじゃん。スベっても。



■帰るべき場所

結局のところ好きなのか、というのは非常に重要だなと思う。

駄作を生み出したとしても、それが好きによって生成されたものならばある意味、ビュー数など意味をなさない。

ビュー数は目標値。と言っておきながら若干矛盾するけれど、これはこれで真実である。
スベってもいいじゃん。自分が好きで書いて、自分が楽しけりゃ。よくよく考えると自分は書くことが好きでnoteを書いてるだけだったな、と。


そして、
この強引ともいえる思考回路は得てして功を奏すから面白い。

SNSって凄い不思議で、顔も本名も知らないもの同士だったりするのに、なんか楽しそうだなってところにはなぜか人が集まる習性があるんですよね。
この再現性はリアル世界より強くて、匿名世界の方がむしろ人って素直なのかしら、とすら感じる。


自分が楽しそうにやってりゃ、自ずと人は集まってくるんです。
そしてそれを継続してると、いつの間にか信じられないほど読まれる記事が出てくる。不思議なことに。

これって凄いことだと思っていて、
当然noteのタイトルに「これ面白いよ」なんて書いてないのに、自分が楽しかったなぁと思ったやつって、なぜか人に読まれるんですよね。ホントありがたいことに。



結局はですね。それをやってることが好きかどうか、楽しいかどうかがベースにあるのが大事なのかな、と思います。
そんでもって究極的にはスベってもいいんです。楽しけりゃ。

そんでそんで、
面白いことにピュアに楽しんでると勝手に人が集まってくるんです。そして、気付くと楽しくなってるんですよね。


今回、目標数値を掲げてあれやこれややってみて
結局好きかどうかが究極の結論であると気付けたことは大収穫でした。

そりゃ読まれたりリアクション貰えたりした方が励みにはなりますが、たとえそうならなくっても、自分が楽しけりゃいいか。・・ていうかそれで良いじゃん。好きなことできてるんだから。


そんな風に今後もコツコツと続けられればいいなと、そんな風に思いました。





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