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ハイブリッド

今回初めて部員日記を担当するため、自己紹介させていただきます。埼玉県私立慶應義塾志木高等学校出身 経済学部1年 鈴木晴貴です。ポジションは後衛です。よろしくお願い致します。最後までお読みいただけると幸いです。

だいぶ先の事だろうと自分の中で思っていた部員日記が、いつの間にか自分に担当が回ってきたため、時間の流れの早さにかなり驚いています。皆さんにも同じような現象が起きているのではないでしょうか。
この現象は僕の学業においても起きており、ついこの前大学が始まったと思った矢先、もう春学期も終わりに差し掛かり試験期間を迎えました。悲しいことに、試験期間にたくさん出された課題に対して、いつの間にか終わっていたでは取り返しのつかないことになるので、それだけはないように時間に厳しく過ごそうと思います。

僕の唐突な決意は置いときまして、本題に入りたいと思います。何について書こうかと悩みましたがここは無難に、自己紹介もかねて、僕の軟式・硬式テニスハイブリット人生について紹介し、感じたことを書こうと思います。(ヘッダーの写真は、ハイブリッドカーという理由で採用したので、今後、車については全く触れません。)

僕のテニス歴というのは6歳からテニスをやり始め、

硬式(幼少期~小学生)→軟式(中学)→硬式(高校)→軟式(大学)

というように硬式と軟式を交互に経験するという優柔不断なものでした。なので、先ほどの意味があるようでない名前をつけてしまいました。大雑把にそれぞれの時代を振り返ろうと思います。

まず、初めてのテニスは幼少期で6歳でした。兄の真似ばっかしていたこともあり、兄と硬式テニスを始めました。硬式は、小学生になっても続け、スクールに週1回で通っていました。

次に、最初の転換点である中学に移ります。中学では、おそらく小学生で硬式テニスをしていた子がぶつかる壁ランキング第1位の、部活動に硬式テニス部がないという問題にぶつかりました。テニスは好きだったので軟式でもいいから続けようということで、中学で軟式を始めました。軟式の楽しさを3年間でしっかりと噛みしめて、高校へと進みます。

高校では軟式に入ろうと決めていました。しかし、何を血迷ったのか硬式の部活動説明会に足を運び、当時の主将に厳しく、熱い言葉をもらいこの部活に入ってみたいという気持ちになりその場で、入部を決意しました。

そして大学に進む際に、軟式への熱意が高校3年間をかけてピークを迎え、中学のとき同じく軟式に所属していた同期の北川君の誘いもあり、また軟式に戻り今に至ります。

こんな紆余曲折なテニス歴を通して僕が感じたことは、いままで経験してきたことをどれだけ今に落とし込めるかということです。硬式、軟式を行き来したことで、それぞれのテニスにおいて活かせるところや逆に、ダメなところなどが見えました。この気づきはこのような経験をしないと得られないものであり、これを武器にしないともったいないと感じました。無駄だと思ったことや明らかに関係ないことが、意外と今の自分に活かせるんじゃないかということです。
いつか、両手バックハンドで一世を風靡する日が、もしかしたら来るかもしれません、、、。目を凝らしてもそんな未来は見えませんが、ともかく、硬式の良さを活かしてこれから頑張っていこうと思います!

長く、拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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