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【日記】今更夏の思い出(不思議編)

最近祓除を観た。ホラーフェイクドキュメンタリーなのだけど放送局にあった呪われてそうな呪物を祓除するイベントをやるよって話。放映が現地観覧と配信という2種類であり、この2組が観終わった後納得する内容ってどんなのだろうという興味でついつい観てしまった。謎は謎のまま、むしろ謎を倍乗せで終わるのだけど、その後観た人同士での考察がどんどん始まって私が好きだった頃のいんたーねっつ過ぎてとても楽しかった。
多分まだ配信販売中でネタバレ解説はこの後でるんじゃないかなと思うので興味のある人はその映画を観た上で各種SNSで #祓除 ってハッシュタグを追うと楽しめると思うのでどうぞ。

私自身も何か色々考察してたりして楽しんだのだけど、考察記事を書く訳ではなく、ずっと書こうと思って放置してた不思議な話を忘れる前に書いておこうと思った日記です。霊感ゼロだけど世の中不思議な事が多々起こるよなっていうお話。


私の家はとにかく家族交流というものが一切無い家庭だった。唯一あった旅行らしい物が年に一度の墓参りだった。だから私の幼少の頃の旅の記憶というのはその墓があった漁村くらいしかない。
そもそもそこまで家族に関心のない父が墓参りだけはきちんとするかと言えば信心深いからではなく、父自身が末っ子であり父の両親に固執していた事が理由だと思う。ただもう一つ理由があって父が子供の頃、父の母(祖母)が夜中に急に暖炉を暖めだした事があったらしい。不思議に思ってなんで急にそんな事をするのと言うと兄が寒い寒いと言ってるからと言われたらしい。兄はその時外出していてその場には祖母と父の二人しかおらず何を言ってるのか父には全くわからなかった。その翌日兄が水難事故で死んだらしい。
祖母に霊感的物があったのかそれはわからないのだけどそれから父自身も自身に霊感があるに違いないと信じてたらしく、家族の為に出かけるなんて一切しない父が唯一する家族行事が墓参りと初詣と親戚周り、あと選挙だった。それ以外の理由で父の車に乗る事が全く無かったので恐怖は家族愛に勝ると思いながら私が大きくなったのだった。

そんな訳で墓参りだけは習慣化していて、家をでた後も何となく行かないと気持ち悪いという理由で墓参りを続けていた。
子供の頃は親が親戚周りをしてる間、村にあった海で遊んでいたのでその海水浴での思い出が凄く大事に残っている。その海水浴用の浜辺は村の人くらいしか利用しない場所だったので個人の私有地の中を通って特に整備されてない崖を下って行くしかなかった。観光客用には駐車場があるきちんとした海水浴場があったのでほぼ村の人しか行かない場所だ。数年前その入り口付近の住居の建て替えがあったようで完全に入り口がどこかわからなくなってしまった。曖昧な記憶を頼りに他人の私有地を一軒一軒探索するわけにもいかないので私の子供の頃の数少ない思い出の場所はそうしてそこにあるのに行く事のできない場所になってしまった。
あまりに思い出の少ない私はその事があまりにショックでその事にきづいた時はボロボロと泣きだしてしまった。

自身が生きていて思い出を振り返ろうとしても、場所も物も人もまだあるとは限らない。人生はさよならの連続でまた後ではほとんど無理で、できてもそれは形や関係が変わってたりで別の物になる。思い立ったが吉日とか、今の一瞬一瞬を大事にとか、今に繋がらなくても関わりのあった事全てを大事にしようとか、老いるとついついそういう思考になってくる。そんな考えで失う事を色々と納得したり慣れたふりをしながら誤魔化し誤魔化し生きていくものなのだけど、それでも失ったと気付く瞬間はやはり慣れないものでとても辛かった。


そこから数年、離婚したり実家と疎遠になったりとでバタバタと暮らしていた今年の夏。毎年恒例の墓参りなのだけど車で往復5時間強の道のりを一人で行かねばならない状況がやってきた。私自身免許もないし、その他交通手段は田舎すぎてバスの乗り継ぎしかないのである。とはいえ墓参りは習慣化されていたし、父が死んでからまだ数年しか経ってないので罪悪感もありどうにかバスを乗り継いで墓参りを決行した。

結論、北海道の僻地はもうだめぽ。

あまりにバスの本数が無さ過ぎて札幌発のバスは多々あるのだけどそこから先のバスが一つのバス停ごとに2時間待ちみたいな状態になってしまった。1時間の用事の為に朝の7時のバスに乗って帰宅は夜9時みたいな状態。なんてホラーだ!絶望した!……みたいな話を書きたい訳ではないので話を戻す。

待ち時間ごとに目立った観光地があるわけでもない場所で二時間づつ時間をつぶす必要があった。そもそも全く旅行をしない人間なので珍しい場所にでかけたらとにかく色々見てまわらないとバス代だってもったいないと感じる貧乏性なので突発観光をはじめた。行き場はだいたい神社か博物館。意外とどんな田舎に行ってもこの2か所は探せばある。私のようなバス待ち難民の為にいつまでも存続してほしいものである。

中継地の岩内神社はとても良い神社だった。バスターミナルのある交通の中継地だけあって昔ここを拠点に凄く栄えたんだろうなというレトロな街並み、そしてとても大きな神社。北海道の田舎が全て小樽やニセコになる訳ではない。岩内は凄く観光地かと言えばそうでもなく、でてくる観光名所が夏目漱石が戦争から逃れる為に22年間戸籍を置いてた場所とか意味が解らない場所が観光案内に載ってしまうような場所だ。だが周辺の仁木町や共和町は果実栽培が盛んな地域で野菜果物がとても美味しく、岩内自体は漁港なので海産が美味しくそれらが集まる場所でもある。話がそれてしまったけど凄い観光地って訳ではないのでオススメするのも微妙かもしれないのだけど、札幌以外の北海道をひつひつと感じられると思うので機会があれば是非。


昔夏目漱石の戸籍があった所。観光名所……?

そこからバスを乗り継いでやっと墓がある場所まで到着。クマが大暴れする昨今、墓のあるその山もクマの生息地だった。鳥や動物たちの鳴き声や活動音溢れる山の中に一人向かって行く事がその日最大のホラーだった気がする。暴走族のクラクションみたいな音が鳴るクマよけ防犯スイッチを押して先祖をお参りする以前に神にお祈りしてばっかりという事態。
異常に大きくなったバッタやかたつむり、ペアで愛を探し合う蝶々やトンボ、森の中から聞こえる哺乳類の動き回る足音、大量の生命力あふれる大自然で恐怖で生きた心地が灯火状態の最弱の私。
クマを殺すの可哀想なんてクレームを市町村に送るのダメ絶対。

そんな命からがらのミッションを終えた後も、次なるバス待ちに一時間以上という困難が立ちふさがる。その日は恐ろしいほどの猛暑だった。ただそこは田舎過ぎて座って待てる場所がバス停しかないという状況。バス停で待つのにも暑さで限界があったので冒頭で話した思い出の浜辺を探しに行く事にした。
昔歩いた時とは全然違う家々が建っていた。記憶の中の村の景色は昭和初期の建築物で溢れていた。今そこで見かける景色は住み続ける為に建て直された家と住む人が居なくなり廃墟になった家とが混ざり合い住民の少なさも相まってトータルで見ると結局現代風の田舎の風景になっていた。
記憶の中の浜辺への入り口はその建て直された家の裏か横のどこかなのはわかるのだけど、現代風の家屋の側面ギリギリを歩くとかは流石に抵抗があり結局諦めてしまった。


神社。写真からは感じられないくらい実物はひっそり民家にまじってるので入りにくい


時間が大量に余ってしまったが行く当てもないので行ったことの無い村の人向けの小さな神社を見てみる事にした。小さく住居とセットになっているその神社はどうにも入りにくさが凄くてずっと入った事が無かった。
入り口の看板に京都伏見稲荷神社の神霊を祀ってるよと書いてあるのに何故か入り口に狛犬が居た。いろいろな人類の事情があるのだろうし、この地域は飼い犬の餌を狐が食べていくというある意味犬と狐の仲の良い場所だったしまぁいいのかと納得。神社そのものは防犯対策か入り口が閉まっていた。参拝する人はちょっとだけ開けて参拝してねの張り紙。張り紙があるのだから開けても良いのだろうと扉を開けようとするも硬くてなかなか開かない。思いっきり力を込めてやっと扉が10センチくらい開いたので中を覗いてみると祭壇があってきちんとした神社だった。
開けた場所からはお賽銭箱ば見えたのでいつもどおり参拝して扉を閉めた。ふらふらっと神社を見かけると参拝する癖があるのだけど、基本お願い事はあまりしない。あまりあれこれ言われるのは神様だって嫌だろうなと思うので基本その場を守ろうと日々お勤めしてくれてありがとうといった感じにお参りする。5円であれこれお願いされたら私だったら嫌だし。お願い事がある時は100円を入れる。こういった所に私の浅ましさがみえるけど気にしてはいけない。

参拝を終えたがやっぱり時間が余った。なのでちょっと神社の周りを眺める事にした。そこからは昔遊んだ浜辺がとてもよく見えた。崖に囲まれており横の漁港からも侵入するのは少し難しそうだった。そんな場所なのでもう遠くから眺める事も困難だろうと思ってた場所なのでもう一度見る事ができたのは凄く嬉しくもあり、少し寂しくもあった。なんだかんだでゆっくりしてたせいか神社を出る時に併設された家の方がでてきて挨拶してくれた。地元民でも無い人がずっと居るのも珍しかったのかもしれない。
違う場面でだがすれ違う村の人に君はどこの家の子だい?と聞かれるのは田舎あるあるだ。まぁそこはそういう田舎なのである。

結局それでも時間は余った。しょうがないので写真でも撮りながら虚無にまた村の中を歩く事にした。すると全然人の気配の無かった場所からいきなりぞろぞろと人がでてきた。その人達が車に乗って去った後なんだか凄く気になったのでどこから来たのかちょっと探ってみた。坂を下りた先はどう見ても他人の家の畑なのだけどやたら踏まれた草の道がありそこをとりあえず歩いてみた。するとそこから崖の裏側にでた。昔散々通った浜辺に行くための崖の道だ。物凄く自分の中でテンションが上がるのがわかる。途中までは簡易な手すりがあるのだけどその先はほとんど補装されてない。油断すると自分の背丈ほどある草木に当たったり、地面は崖なのにぬかるみになっているので泥だらけになったり。お気持ち程度に足の踏み場用と思われる大きな石や木の板があるのでそれを慎重に踏みながら進んだ。普通に危険なのでゆっくりゆっくり一歩づつ。


地獄の猛暑の真昼間なのに誰も居ない思い出の浜

崖が終わり漂流物でできた岩の坂を超えるとそこは昔よく遊んだ砂浜が広がっていた。もう二度と見る事がないと泣いて諦めた場所がそこにあった。
崖をくだりながら感動するかな?嬉しくなるかな、そんな事を考えてワクワクしていたはずなのに、いざ達成されると言葉が全然でてこなくてただただ泣いていた。上手く言葉にできないけれど奇跡を目の当たりにした人間の間抜けずらというのが一番近いかもしれない。感情がこみあげるのではく、気が抜けてしまうような感覚。ただただ嬉しかったんだと思う。

誰も居ない広い浜辺を眺めつつ少しづつ海に近づいた。あまり人の来ない海なのでキャンプゴミはさほど多くないが漂流物と思われるゴミでいっぱいで決して綺麗とは言えない。写真映えするとも言えないその普通さがなんとも良かった。
小さい頃はずっとカニやヤドカリを集めて遊んでいたものだ。濡れないようにそっと海をのぞき込む。昔のような風景をと思って覗いてみたら予想の三倍みっしりとヤドカリが密集していた。今年はとても暑かったので大量発生してるのだろうか。むかしはあんなに可愛いと思ってたものが大人になるとなんとなく触れられなくなる。なのでキモカワだなぁと思いながら飽きずそれらを眺めていた。ただそれだけでも凄く楽しかった。


みっしり。どの岩もこんな感じ。みっしり、みんな仲良し。

そんな虚無の時間をただただ過ごしていたのだが、急に雨が降ってきた。その日は熱中症不可避な暑い日であまりの予想外な出来事だった。これは大変だ急いでバス停に戻らないとと思って歩き始めた頃には既に止んでしまったが。物凄い一瞬の狐の嫁入りだったなと思いながら、そういえばさっきの神社稲荷神社だったな等と思い返していた。もしかして神様が願いを叶えてくれたのかななんて思いながら来た道を引き返した。
引き返す途中神社とバス停の真ん中あたりで急に左肩に急激な痛みが走った。私には霊感は無いが墓場とか心霊スポットとかに行くとよくおこる謎の現象だ。振り返ると良く見える位置に神社があったので願いを叶えてくれてありがとう。でももうバスに乗らないと帰れないからもう行くね。そう言って神社の方向に向かって礼をした。するとすっと肩が軽くなった。そして真っ直ぐバス停に向かった。

それは不思議な事だったような気もするし、たまたま偶然の出来事を場所に紐づけて都合よく解釈してるだけとも思う。度々神社という場所はこういった事が起こる。私自身は凄く神様を信じてるという訳でもない。八百万全ての物に意義があり感謝を的な考え方が好きでなんとなく神社に行く程度である。神社だって石碑だってそれを建てようと思った人々の思いと歴史があるのだろうなと、良くも悪くも。語る事はできないけど大昔の人の思いと向き合ってるそんな気持ちになるのが好きなのだ。
それとは別にやはり神社というのは不思議な空気感があると思う。理解や説明できない何かはあるのかもしれない。ただ理解や説明できない物ほど怖い物もないのでやっぱり心霊現象とか本当に無理だし、祈りは叶えて欲しいけど神様は実在するとか断言する気にはならないのである。私は曖昧さに耐えられない弱い人類なのだ。ごめんね、神様。


そんな訳でついつい好奇心で怖い作品を観てしまうけど心霊物は嫌いな理由と、偶然にしては綺麗な思い出だったからずっと書きたかった思い出をなんとなく書いてみた。ここの所季節の変わり目のせいか体調が良くない。いつもはせめて書く内容は少しでも誰かが喜んでくれる物がいいなと映画感想ばっかり書いてたけど、とうとう文字もかけないくらいに疲れてきたのでどこにも需要はないが自分の本当に書きたかったものを書いてみた。雪がある程度つもって頭痛から解放されたらまた映画感想とかに戻ると思います。皆様も季節の変わり目の体調変化には気をつけて健康第一で。


怖い話書くんじゃなかったの?とガッカリと思われた方、心霊現象も怖いけど人類にとってはまず田舎のバスの本数とクマのほうが身に迫ったホラーだよと。みんなみんな田舎で立ち往生して震えるがよいのだ。

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