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限界を広げつつ自身の心を守る戦い/The fight to protect your heart while pushing your limits/Der Kampf, Ihr Herz zu schützen und gleichzeitig an Ihre Grenzen zu gehen

自分の許容量を広げるよう努力しつつ、でもうまく認識してオーバーなことはしない。それが、難しい。

日本の専門医機構が運営する専門医研修システムは優れたシステムで、3年で何をするか項目が決まっている。日常業務まで規定してあるわけでは無いが、そのシステムに則ると大体1年目のこの時期にはどんなことができるべき、みたいなのがあるのでマネージャーの先生はそれに従って業務を振り分ける。

私が所属する施設では、2年目になると1人当直をするようになる。そのため、1年目の終わりが近づくと、出来るだけ上当直は手を出さずに下にやらせる。基本何もせず、近くにオンコールが居ると思ってやりなさい、と言う先生もいる。
そんな時、オンコールを呼ぶタイミングを覚える必要がある。 

その日の分娩は結局は吸引になったものの元気に産まれた。が、当直医の私にとっては思い出しても涙がでる思い出である。当直詳細をここに書くことはあまりないが、思い出しても震えと涙と申し訳なさが止まらない、当直後数日は夢に出てきた、そんな思い出なので書き起こしておきたい。

39週初産婦、ちょうど日付が変わるくらいに陣発破水、分娩が急に進んでいた。37週のモニターでも基線が120と低め、入院時のモニタは基線は110だった。新生児は心拍数が100を切ったら心停止に近いと言われ、モニタが100を切ったら私も警戒モードに入るのであるが、たった10下がっただけでその状態になりやすい状態だったのだ。

分娩が進むと基線は100になり、細変動はしっかりあったが、確かにモニタの数値は80台を出すようになり、その日の夜間分娩担当助産師(1年目)は既に慌てており酸素を付けたりしていた。
その時点で、レベル2と判断して、院内オンコールに報告しても良かった。
でも、できる限り自分で管理したい、と思うのも道理、私はまだ大丈夫と判断して報告しなかった。しかし助産師は慌てふためいており、まだ自分に自信のない私も釣られて慌て始めた。
だめだ、胎児の状態が悪いからこれ以上は待てない、もうお産にしよう。そう思ったが、誘導しても降りてこないままにモニターは鳴り続ける。胎児機能不全を宣言し胎児の下降位置を充分として吸引するのか、不十分と判断して帝王切開にするのか、それとも下降位置不十分だがまだ待てると判断し誘導をかけ続けるのか。
私には判断できず、また焦って余裕がなくなり下降位置の評価が不十分になった。だが、このままでは私が吸引しても失敗することだけは直感でわかった。帝王切開の宣言をするには院内オンコールを呼ばないといけなかったし、手に余ることだけは分かったのでオンコールを呼び、誘導の後に吸引で、無事に分娩になった。

オンコールは私に、モニター評価は今回は難しかったからできなくてもしょうがないけど、下降評価が甘い。私が来なかったらどうするつもりだったの?あなたは、結局何も判断せず宣言せず、評価も不十分なままで不安になってオロオロしていただけなんじゃないの?と。


背伸びすることは心地良いが、背伸びし過ぎは自分を辛くさせる。かといってプライドをさっさと捨てて他人を頼り過ぎるのも自分のプライドが許さない。プライド無くして毎日仕事などできない。
慣れていないということは余裕がなくなりやすく、自分の力を発揮できなくなりやすい。自分の許容量を広げるよう努力しつつ、でもうまく認識してオーバーなことはしない。自分も先輩もお客さんも守るために、私にできるのはそれくらいだ。

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