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道から逸れることが怖くて、正解を求めすぎていたのかもしれない

自分はいま世の中の正解とされている道から逸れていないか、ときどき不安になる。
だから、誰かの正解を知りたくなるし、そこに当てはまるように生きようとしてしまう。
誰にも正解なんてないよ。っていうのは頭ではわかってても、やっぱり人と違うことをしようとしているのは不安で、怖い。

わたしは、ある方とお話する機会をいただいた。
その方は、わたしにとって憧れの「ライター」という肩書きをもって生活されている。話を聞いて自分が道から逸れていないか確かめたいという思いもあった。
どこかで自分が憧れとする職業の人に今の自分を肯定してほしいという思いもあったのかもしれない。

その方の話を聞いて、正解を求めすぎていたら身動きが取れずに何者にもなれないと思った。
怖くても、一歩踏み込んでみたらもしかすると新しいきっかけがつくれるのかもしれない。それを続けていたら、自分の求める何かに近づけるのかもしれない、と。

自分で選択して決めていくことは、とてつもなく勇気がいること。
たとえ、その選択を失敗したとしても、必ず次の選択がある。
その次の選択で自分は何を選ぶのか。
そうやって間違っても、怖くても進んでいっていいのではないか。

今noteを書いていて、あるところで目にした「未来は過去を変えられる」という言葉を思い出した。
正解を求めすぎてしまうのは、一度自分が正解といわれる道から外れてしまったことをどこかでとても後悔しているからだと思う。
過去の選択で、ああしたらよかったのかもしれないと後悔したり、もっと慎重になるべきだったと思い出しては苦しくなることもあるけれど、その過去はこれからの自分次第で自信をもって「よかった!」と言える過去になるのかもしれない。

これからも正解ばかりを気にしていたら、きっとわたしは過去を「選択ミス」として思い出すたびに苦しくなるはず。

ちょっとくらい道から逸れているほうが面白いのかも。
そのくらいの気持ちでいろんなことに挑戦していきたいと思った。

多分そのほうが、今までの自分より面白みが出て、楽しいのかもしれない。



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