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無職なるもの、散文


とある企業を短期間で辞めた。そして、わたしは無職となった。




最初の1週間


最初に無職であることを意識したのは、職業記入欄を埋めていく時だった。

その時「ああ、わたしは今、無職なんだ」と思い知った。

屈辱感と、こんなはずじゃなかったのにという焦りを感じ、自嘲の笑みを浮かべたことを今でも覚えている。

周囲の会話にも過敏になって行った。

電車を待つ時に内定後の女子大生たちの会話が聞こえてきた。

A「あの子、内定決まったって喜んでたよ~!」

B「あの子どうせすぐ辞めるでしょ」

A「はは、それな」

いつもなら耳にも入ってこない音がわたしの鼓膜を突き刺した。

そうか、わたしは社会的に「『すぐ辞める人』になったのだな」と思った。

おなかに重い塊が入っている気分だった。
ひどく気分が億劫になった。


ずっと悩んでいることがある。

辞めざるを得ない環境なのは、わたしが悪かったのだろうか?

あんな人と上手くやれる人はいるのだろうか?


この記事に詳しく書いているので良かったら覗いてみてほしい。


そのお局さんは、皆からびくびく恐れられているようだった。

他の部署の人はなるべくお局さんに聞かずに済むように仕事を進めていた。

A「あの人の意図ってこうっすかね…?」
B「う~ん…分からん…たぶんそう」
A「じゃあこれで進めます。最悪無理なら聞こうか…」
B「そうですね…!」

みたいな。

その周囲の人とは違って、わたしはお局さんを経由しないと質問も出来なかった。
3人の少人数チームだからだ。

わたしも、なるべくその人と話さなくても済むようにしたかった。

仕事に行くのが本当に怖かった。
助けてくれようとしない人を恨んだ。
自分なら一声かけるのに、と思った。

わたしが一番心配なのは、

  • 次の企業でもそんな上司に当たったらどうしよう?

  • そして、こんなに酷い当たられ方をしたということは、わたしに欠陥があるのではないか?

ということだ。

悩んでも悩んでも答えは見えない。

優しい友達たちに聞いてもらう。

本当にありがたい。

わたしも絶対、相手が困っていたら手を差し伸べられる優しい人になりたい。


2週間後


わたしは教習所に通うことになった。

これは大きな気分転換になった。

若い先生は大抵キツイ言い方をするが、「わたしの考えすぎ!すぐ怒らない!これじゃあ面倒クレーマーと一緒だ」と自分に言い聞かせた。

最初は劣等生だったものの、運転が少しずつ出来るようになることが嬉しく、心のもやもやは次第に晴れていった。

沢山覚えることがあるというのも、自分の気を紛らわすためには良いことだった。


でも、どうしても短期間で辞めざるを得なかった状況を思い出して、どうしても苦しんでしまう。

新卒の職場でも、次の職場でもなんだかんだ楽しくやれていたのに。

わたしは、過去の成功体験にしがみつくようになった。

指を折って、この人ともうまくやれていた、あの人にも褒めてもらった…と、何度も数える。


だから大丈夫なのだと。次の職場ではそんな人はいないだろうと。
運悪く、相性の悪い上司に当たっただけだと。
何度も自分に言い聞かせる。


この世には、2:6:2の法則というものが存在する。

自分が何をしても好意的な評価をしてくれる人が2割。
中立、別に好きでも嫌いでもないよと言う人が6割。
最後に何をしてでも自分を嫌う人が2割。

最後2割の人が運悪く上司になってしまっただけだと、そう言い聞かせる。

考えたところで、そんなに癒されはしなかった。

でも、あの時の仲間に会いたいと思ってしまう。
もうみんな結構退職しているらしい。
あの時の仲間はもういないと思って酷く悲しい。

わたしは何処までもひとりぼっちだった。

でも、家族はずっと何処までも優しかった。
そもそも、わたしがそんな上司に当たったことを心配し、すぐ辞めるように言ったのも家族なのだった。
ちょっとその上司おかしいぞ、と家族は言った。
わたしが在籍中に精神を病みかけた時は、前日に旅行を決めて、付き合ってくれた。

無職期間中、わたしは大抵暇なので、よくドライブに出かけた。
窓から差し込む日差しや、キラキラの青空、美味しい中華。
いろんな景色を家族で見た。
とても楽しかった。

わたしはいつからか、「ま、いっか」と思うようになっていた。


失業給付申請と前職


かつての仕事からやっと書類が届いた。
この日に渡しますと言われた日から数日経っている。
数日でも給付金を受け取れる日がその分延びる。

あの企業の人事には他にも仕事があるのだろうけど、書類送付くらい早く出来ないのかよと苛立った。

わたしはこんなに狭量な人間だっただろうか?

どうにもあの会社には嫌な思い出しかない。
良い人も居たのにな。
分からないところを個室で丁寧に教えてくれた人や、わたしが号泣してしまった時に付き合ってくれた人も居た。

辞める時、部署の皆には誰にも何も言わなかった。
誰も助けてくれなかったくせに、なんでこっちだけが仁義を通さないといけないんだと、その会社を憎んだ。

でも、今思い出すと終電まで残業があったのに、わたしのお世話をしてくれて、分からないところを教えてくれた人も居たのだ。

もう会うことはないだろうけど、わたしはその人たちの名前だけを憶えている。
今思うとちゃんと誠意を持って最後にお礼をすべきだった。

実は、もうお局さんの名前が思い出せないのだ。
靄がかかったようになっている。

ハローワークへ


ハローワークは繁華街に近い場所に行くことにした。

都会に強制的に出る環境を作った方が精神衛生上良いと思ったのだ。

書類に不備もなく、給付金の手筈は整った。


スキルアップに何をしよう?

わたしは、ハローワークの職業訓練のコースを申し込むことを予め決めていた。
なんと無料で、簿記やインターネットの使い方やクリエイティブなどを学べるのだ。厚生労働省さまさまである。
大体20代は最大90日間、給付金が貰える。確か前職の1日分の給料の6割が1日の金額だ。

そして、職業訓練機関中は90日を超えてしまっても、ずっと給付金が延長されるのだ。
具体的には4月~9月の職業訓練のコースなら、4月~9月の給付金の支給が延長される。

なんと、定期代も支給されるし、学校の費用が一日500円も別途支給される。
手厚い福利厚生をわたしは今まで知らなかった。

エニアグラム診断をする


父親がエニアグラム研修を受けて、冊子を持って帰ってきた。
わたしたちは肩を並べて、診断のマスを埋めていった。

https://www.enneagram.ne.jp/about/diagnosis

わたしは「芸術家」だった。


占いより、全部当たってて泣いた

いつもそうなのだが、このような診断をする時必ずと言っていいほどこういう「芸術家」タイプになる。

会社の皆は「あ~~~~!ぽい!」と言う。

辞めて欲しい。
わたしは芸術家になりたくないのに。

この通り「感受性が鋭い」ので、こっちは「芸術家 社会不適合者」とかいうサジェストが出ただけで思い悩んでるんだぞ!

平凡にはなりたくないけど、そつなく周囲に馴染める人が本当に羨ましくて堪らない。
最初からすっとわたしは馴染めた試しがないのだ。

そつのない人が羨ましい。
目立たない人が羨ましい。
平凡になりたい。
普通になりたい。

そういう考えはずっとわたしの根底にある。




職業訓練での一コマ


思ったよりも楽だし、毎週発表もあるけど、結構楽しい!

実は、前半部分は以前行っていた仕事の延長線の話なので、ギャップは全くない。むしろ結構知っていることが多く、他の職業訓練を受けた方が良かったかなあとすら思っている。

発表の中でわたしより若い女の子がいるのだけど、その子が素晴らしい。

見目はきれいなギャル。でもハキハキした声ですごく聞き取りやすい。

自分を超初心者と称しているが、知識を自分のものにする力と情報収集能力、発表能力などが抜群だ。

たぶんこの子はどこに行っても大丈夫だと思う。

印象的な話がある。

ある講師がわたしたちのチームに一つのなぞ解きをした。

「これ分からなかったら困るぞ~!基礎だぞ~!」と言う。

わたしは一生懸命考えた。
エクセルを使って数字を用いて何とか数字を割り出そうとする。
時間だけが過ぎていく。
わたしは最後まで回答が出来なかった。

他の人は間違えた回答をして、「違いますね~」と言われている。

あてずっぽうで回答することはわたしのプライドが許さなかった。

頭が真っ白になった。

わたしは他の人と違い、似たような仕事をしていたのに、少し目先の数字をいじられただけで分からなくなってしまう。

消えたいとすら思った。

講師は私たちそっちのけで解説を進めていく。

講師「これで分かった?」

わたし「これは…このように割り出して…この考え方でこうなるってことですか?」


講師「うん!そう!!」

わたしはホッと息をついた。

講師「ほかの人はどうかな?」

わたしはそっとその彼女を見た。

果たして彼女は言った。

「すみません!今の状況だと、分からないところも分からないんです!!でも、これから家で勉強して出来るようになります!!」

わたしは、これを聞いた時、本当に感動した。


そうか。
ここは学校なんだから、分からないところは分からないと言っても良いんだ。

わたしは、分からないことを分からないと言うのを怖いと思っていた。
「え、これも分からないの?」と言われることもあったからだ。

だから、怖かった。

分からないことを認めるのが。

でも、分からないことは仕方ない。
こうやって堂々とカラッと言われたら、皆すんなり納得するのではないだろうか。
これで良いのか、と思った。


わたしはこれから「分かりません」と言えるようになるだろうか。



出来ないところがあった時、これほどまでに自己肯定感が下がるのかと我ながら驚いた。

こんなすぐに自己肯定感が下がってしまうのであれば、傷ついた時にかけられた言葉も過大解釈している可能性があるなと気づいた。


今のわたし



大体思い悩んでいる時にnoteを開く。
「書く人は書かずにはいられないんだよ」
と誰かが言った。

実は、無職の話はnoteで書かないつもりでいた。
noteで自分の恥部とも呼べる不利な状況を公開するのは、ずっと恥ずかしかったのだ。

でも、書こうと思った。

書こうと思ったのは、実はこの日からだ。

https://note.com/suzukab124/n/n382278357f41


失敗したり傷ついたり、プライドが高い自分のことも外に出していこうと思う。


今までずっと、かっこよくて綺麗な自分だけを見てほしかった。

でも、どんなに隠そうとしても漏れ出るものが個性らしい。

どうせ気の強いところや繊細なところもバレるのなら、最初から出していこうじゃないか。

わたしはドライブ中にふと、居酒屋の看板を見つけた。

真っ黒な板に赤いペンキでこう記されてあった。

「こんなはずじゃなかったと思ってからが、人生本番」

その看板は、すぐに走り去って行った。






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