広島の原爆ドームへ行ってきました

ずっと行きたいと思っていた原爆ドームと、広島平和記念資料館へ行ってきました。

正直感情がまとまらないところもあるんですが、思った時の感情を忘れないように書き綴っておこうと思います。

広島平和記念資料館


この資料館の入場料は200円です。正直もっと価値がある…というより、もっと入場料を取らないと採算取れないんじゃないかと思うレベルでお金がかかっています。
でも、土曜日に行ったのですが本当に人が多くて。8割外国人でした。(白人の方が多かった印象です)
ちゃんと英語でも解説が書かれていて、日本語が母国語じゃない人でも、キチンと感情を追えるようになっています。

展示室へ


異様なムードでした。ほぼ誰も喋りません。喋れなかったのだと思います。

わたしも同行者と行きましたが、口を開くことが出来ませんでした。
普通のテンションで喋ることが被害者への冒涜とすら思えたのです。

アメリカ軍が原爆を投下した時の広島の姿をジオラマの姿で描かれています。

明るい広島の街が、真っ赤に染まり、円を描いたと思えば、一瞬で焼野原になったのです。
わたしの見間違いでなければ、川の形状も変わっていたように思います。

原爆の投下で、地形まで変わってしまったのだと思うと、なんとも言えませんでした。目を逸らしたかったです。でも、ここで目を逸らすのは絶対に違うと思いました。わたしは、手首をギュッと掴みました。もうこの段階で嗚咽を漏らしている人もいました。

原爆で負傷した人の絵が描かれていました。皮膚が垂れ下がって、「痛い痛い」と言いながら焼野原を歩いたという絵も描かれていました。


手紙

お母さんから子どもに充てた手紙が本当に胸に来るものがあり、どうしても泣いてしまいました。

「良い子にして、皆さんに可愛がってもらうのですよ。もう泣きませんね」と書かれていました。本当は自分が子どもを慈しんで守りたかったはずです。子どもさんはまだ幼い子どもなのでしょう。どれだけ無念だったことか。宝物を手放さざるを得ない母親の気持ちを考えると、本当に心に来るものがありました。本当は泣きたくなかった。原爆の被害者の方を自分の心の琴線として利用しているようで、それが嫌でした。

N家の崩壊

ここでは、命はとりとめたものの原爆の被害で生涯苦しむことになった家族が紹介されます。原爆の影響で皮膚がんや白血病を発症する人が続出したそうです。

N家のお父さんもその一人で、原爆の被害で苦しむことになりました。

治療法はなく、容貌が変わってしまったことから差別の目を向けられ、苦しんだそうです。娘が大枚をはたいて何とか病院で入院させても、病院側から「治療法がないから寝ててくれ」としか言われなかったそうです。
勿論、わたしは病院側を責めることは出来ないと思います。原爆を落とされ、何もかも初めての症状ばかり。でも、それは被害者の方だって同じことでした。痛くて辛かっただろうに。
結局働くこともままならず、父親はカミソリで何度も何度も自分を傷つけて自殺をしたということでした。

なんとか生きながらえてみても、そこに待ち受けていたのは修羅の道。
「なんで自分が。何もしていないのに」

自分の生命に終止符を打たざるを得なかった父親の気持ちを考えると、悔しくて堪りませんでした。


リトルボーイ


広島と長崎に落とされた原爆の違い 広島に投下された原子爆弾は、ウランを用いたもので、小型であったため「リトルボーイ」 (ちび)と呼ばれていました。 一方長崎に投下された原子爆弾はプルトニウムを用いたもので、その容姿から「ファットマン」 (ふとっちょ)と呼ばれていました。

https://www.city.urayasu.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/011/722/chapter1.pdf


人を無作為に傷つける爆弾を作っておきながら「リトルボーイ」という名前を付けているグロテスクさに堪らなく腹が立ちました。

見せしめのために殺された方のことを考えると、アメリカのしたことを到底許すことは出来ません。
去年バービーとの映画のタイアップで「悪ノリ」がありましたが、結局アメリカって自分たちがしたことの重大さを分かっていないのかなと。
自国が爆弾を落としたということは知っていても、その爆弾でどれだけの人が傷ついたのかを具体的に知っていないから、そういうことが出来るのだと思います。
一人でも多くの方がこの資料館に行って、「何か」を掴んで欲しいと、切に、思います。


資料館を出ます。
資料館は全体的に暗い部屋です。だから、日の光が差し込むところを見て、「いま」に戻ってきたと思いました。

資料館を出ると、誰かの汗のにおいが一瞬漂いました。

ああ、どうしようもなく、今わたしたちは生きてるんだと思いました。



原爆ドーム

原爆ドームほか平和記念公園は広島市の本当に中央部分に存在しています。
本当に百貨店の近くに、平和記念公園があるのです。

わたしたちは広島平和記念公園を出て、市内の方向へ向かいました。

原爆ドームが見えます。

英語で「人道的な行為を絶対にしてはいけない」と書かれている横断幕を持っている外国人がいらっしゃいました。

原爆ドームは、昔の姿のまま佇んでいました。


もう誰も入ることが出来ない世界遺産だそうです。鳥しかここには入れないのかな。


広島平和記念資料館を見て、ほぼ外国人が占めていることに驚きました。
でも、それだけ外国人も原爆のことを知ろうと思っているということは、まだ救いのような気がしています。無知は罪だなと思いました。

この資料館を見たら、絶対誰でも思うところはあると思います。

もしまだ見ていない人がいれば、ぜひ行ってみてください。

見るのは辛いですが、ここは目を背けてはいけないところです。

全くの無防備な状態で、心構えすら出来ないまま生命を奪われる人、苦痛に悶える人がいたということが、よく分かりました。

原爆を絶対に許してはいけません。

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