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嫉妬の権利


若くして成功した俳優さんを見て、無力感に苛まれることがある。

『この人はいいよな。こんな綺麗な顔してさ。』

『何不自由のない生活を送ってたんだろうな。』

『どうせ、人生イージーモードで来たんだろうな。』

『失恋なんてしたことなさそう。』

『女の子から寄ってくるでしょ。』

『何も悩みなんてなさそう。』

『いいよね、元々才能がある人はさ。』


私は昔いじめられていたことがあり、所謂ハイカーストに所属する人間が苦手だ。

声を大きく出せることを許された者に対して、劣等感に近い憧れを持っている。

だからこそ、その人のことを何も知らないのに、「この人はどうせこういう人間だ」と決めつける嫌いがある。


昔は苦労していたという話を聞いても、素直に受け止められない。


『作り話しないでよ。そんな風に自分はこっち側の人間です、なんてフリしないで。』

『こっち側の人間も取り込もうと思ってるんでしょ。騙されないからな。』



私のような「持たざる者」は、その代わりに心の中で批判できる権利があるとさえ思ってしまう。


ネットの所謂「アンチ」にはこのような思考回路があるのかもしれない。
私は「アンチ」の気持ちが少し分かるような気がするのだ。

芸能人や有名人に批判や心ない言葉をぶつけ、彼らからリアクションが返って来た時、アンチは画面の向こう側で歪んだ笑みを浮かべている気がする。


『リアクションが返って来た!俺らの言葉に反応した!!』

『私の言葉で、傷ついた!!!』

『俺・私は、あの遥か高みにあるあの人を、傷つけることの出来た人間なんだ!!!』


こんな風に思っているのではないか。


何故そんな風に思うのかって?

私だったらそんな思考回路になるからだよ。


勿論、私はネットで罵倒の言葉を一度も送ったことなどない。

送る言葉は絶対、褒め言葉。

何か気づいたことがあっても、それは求められない限り口に出さない。

褒める言葉こそ、相手が一番求めているものだと分かるからだ。


人が心の中で思っていることなんて大体一緒だ、ともう言い聞かせるしかない。

しかし、貴方が無力感、嫉妬に苛まれているとするならば。

4つの段階に分けて、貴方の嫉妬心を和らげる方法を模索していきたい。

少し時間を頂けないだろうか。

段階その1。


まず、こんな思考回路になる自分をまずは認めてあげて欲しい。
「優しい人」ほど、自分の中にある汚い感情に驚いて、「こんな気持ちになる自分など自分ではない」とその気持ちに蓋をしてしまうのだ。


自分しかその感情は知らない。


殺人を考える人、殺人を実行に移す人の間には明確な格差が存在する。

考えることと、実行に移すことは全くの別物なのである。

人間なら、当然のことだ、心の中で思っているだけなら勝手だろうと開き直るのもいいかも。


段階その2。

自分が行った決めつけは危険だということに気づくことだ。

私たちは、会話をする時に相手を見て、容姿や肩書で相手を判断してしまう。
その上彼らのライフスタイルまで勝手に想像し、敵視する。

私の言葉をもう一度見て欲しい。


『この人はいいよな。こんな綺麗な顔してさ。』

『何不自由のない生活を送ってたんだろうな。』

『どうせ、人生イージーモードで来たんだろうな。』

『失恋なんてしたことなさそう。』

『女の子から寄ってくるでしょ。』

『何も悩みなんてなさそう。』

『いいよね、元々才能がある人はさ。』


恐ろしいことに気づく筈だ。

そう、「綺麗な顔をしている」という外見的特徴以外、
全て自分の想像で話を進めているのである。

するとどうなるか。

このような色眼鏡で相手を見ている以上、友好的な関係を築くことは難しくなってくる。

そして、それを口に出してしまうと、人を見る目がない、言葉が薄いと周囲からも思われてしまうという嫌なオマケつきだ。


では、どうすればいいのか。

自分が何に対して嫉妬を覚えたのか、把握することだ。

もう一度よく見てみると、上記の文章、
自分に自信がない事を相手が持っていると思い込んで、決めつけている。


私の文章で言うと、このような感じだ。

人生イージーモード

小学生の時から辛いことばかりだった。

うんうん、ずっと我慢してたんだね。でもいじめられてきたからこそ、人の痛みが分かる大人になったんだと思うよ。


声を大きく出せることを許された者

学生時代ずっと自分の気持ちを押し殺してきて辛かったんだね。私を見て欲しかったんだよね。だから、演劇に惹かれたんだね。


このような具合で、自分の心の中にある幼い自分に優しく語りかけてあげて欲しい。


段階その3

輝いている人がこれまで費やしてきた時間を想像して欲しいのだ。


輝いている人の裏には必ず、私の知らない積み重ねてきた努力がある。


勉強をせずに毎回授業で褒められる秀才はいない。

昨日の晩、予習をしていたのだ。

コツコツと積み重ねてきた努力があるのだ。


その努力も知らずに、自分がその努力もせずに、その秀才を妬む権利はない。


若くして成功した俳優さんという背景の裏には、中学生・高校生だった私たちが遊び回っている時間にオーディションを受けたり、台本を読みこんでいる時間が確実に存在している。

私たちが何も知らないで笑っている時間に、彼は「今にみていろ」という強い気持ちで練習を重ねていたのかもしれない。

私たちが見ているのは、彼らのごく一部に過ぎない。


このように考えてみたら、少しは嫉妬の気持ちは消えていないだろうか。


「その人が努力しているってのは分かるけど、だからって私がちっぽけなのは変わらないわ」

ここまで来たら最後、段階4


嫉妬を感じているのはどんな時?


ほぼ確実に「何もしていない時」だろう。


脳が暇してる時だ。

勉強、掃除、読書をするのでもいい。

でも、一番効果的なのは「自分の長所を伸ばす努力をする」ことだ。


長所とは、長く継続していても苦にならない作業のことだ。

幼い頃から、理由もなしに好きだったことだ。


私なら、創作活動をすること。


読んで下さる人のことを考えて文章を書いている時は、自分のことを好きになれた。

私だって、やればできるんだぞ、と思えた。

これなら負けない、と自分で言える領域を増やすことが、自信に繋がる。


その領域が多ければ多いほど自信の拠り所となり、傷ついた貴方を守ってくれるシェルターとなってくれるだろう。


そして、一つ感謝を伝えたい。


読んでくれている貴方がいるから、この文章は日の目を浴びることが出来た。

書き手だけでは、文章は成立しない。

読み手、聞き手がいるからこそだ。

ここまで読んでくれてありがとう。

私の想いを聞いてくれてありがとう。

貴方は、私に笑顔を与えてくれた。

貴方は、誰かに何かを与えられる人です。

本当にありがとう。


たまに落ち込んでしまう、頑張り屋の貴方に書きました。

愛を込めて。

鈴鹿

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