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うまくいくと不安になる癖

やまだの癖について、徒然と書きます。お暇でしたらお付き合いくださいませ。




計画を立ててそれを実行すると、上昇する感じがする。
トライ&エラーを重ねて、わかることが増え、できることが増え、前に進んでいるという感じを覚える。

だがしかし、うまくいくことが続くと不安になる。こんなにうまくいっていいのだろうかと疑ってしまう。私はそんなとき、安心したくてわざと失敗したり、計画を遅らせたりする。前に進みすぎると怖い。

一週間で100進む予定が4日で80も進めた。素晴らしい、けど不安になる。だからあと3日で140まで行けるかもしれないとしても、私はほとんどの場合、3日で100までしか進まない。どころか、上がったスピードを遅らせるとつまらなくなって、98ぐらいで止まってしまったりする。
すると、、安心する。なんだ、こんなもんか、ほっ、、。そうしてまた、「目標にちょっとだけ届かない自分」を見つけて、不安を解消するのだ。

私がなぜこんな厄介な癖を身に着けてしまったのだろうか。理由として思い出せるのは以下のような出来事だ。曖昧な部分が多いが、そのとき生まれた感情にははっきりと覚えがある。

▶おそらく幼稚園ぐらい、私はなぜか番長のような立ち位置にいた。4歳から空手をやっていたため、年長になると自分より強い人がおらず、喧嘩のようなじゃれあいで勝ち続ける日々を過ごしていた。年下~同年代の前ではドンのようにふるまっていたが、親や大人を前にすると委縮してしまうような子であった。
幼稚園と言ったが、小学生くらいかもしれない。ともかくある日、私は友達と一緒に勉強か何かに取り組んでいた。なんでもそこそこできた私は、友達より私の方がずっとできがよく、勝負をしたら余裕で勝てるような状況であった。

しかし、そのとき、友達より優れることを「怖い」と感じた。
ここでこの子より遥かにできてしまったら、この子は自分はできないやつなんだと悲しむんじゃないだろうか。そんな感情が生まれた。ドンとして振る舞い、今まで周囲の気持ちなど考えなかった私が、人の気持ちを考え始めた瞬間である。私はそのとき猛烈に怖くなって、申し訳なく感じて、少し手を抜いた。だが相手の心持ちがよくなるということはもちろんなく、自分も抑制した状態で臨んでいたから楽しめず、うやむやな気持ちでその日を終えた。
ともかく、相手より大きく優れることは怖いことだ、とその日強く感じたのだ。相手からしたら迷惑極まりないだろう、勝手に見下されて、しかも手加減されて、君はできないやつじゃないよ、と思われているのだから。かつ、自分は嘘をつくのが下手な子どもだったと思うから、勘のいい子なら雰囲気で察したかもしれない。手を抜いている、しかも自分に差をつけてしまわないように◀

足並みをそろえる、という目標を達成するためには、自分を押さえることは必要かもしれない。しかし相手を慮るために自分を押さえたのなら、相手に不義理だろう、と今は考えられる。ときには必要かもしれないが、自分を抑えて相手を立てることは相手に向き合っておらず、自分の「相手より優れてしまうことは怖い」という感情から平易に逃げているだけである。
小学校低学年の子と高学年の子が鬼ごっこをするとき、高学年の子が低学年の子に合わせて手加減するのは優しさだが、勉強ができる子ができない子に合わせて「全然できな~い」ということは不義理だと感じる。というか、もしできる子が「できる」と認知されている状況で「全然できな~い」と言っているなら、それはただの失礼だ。私はそんな、失礼で人の気持ちがわからない子だった。「全然できな~い」と言うことが優しさだと思うような子だった。「テスト勉強した?」「いや~、全然やってない」と言う会話とは一線を画すほどに失礼だったなあと思う。

いつしかそれは、「想定した自分」よりもずっとできてしまうのは怖い、になったのだ。なぜ怖いと思うようになったのだろう、先のエピソードに当てはめるなら、「今の自分がうまくいっていること」で、「過去の自分」ができないやつだってことを示してしまうと思うから、、?多分違う気がする。
できすぎるのは怖いし、うまくいきすぎると自分じゃないような気さえしてドキドキしてくる。

最近は、そのドキドキを乗り越えること、たまにやってくる「思ったよりずっとできる」を受け入れることが、成長の近道なのではないかと考えている。
うまくいっているとき、その喜びよりも、良い調子はいつ崩れてしまうのかと考えてしまう。だが、その不安を「やっぱりできない」という状況に持っていくことで解消するのではなく、ドキドキしつつも目の前のことだけを考えることが解決策だと思う。やってみるのだ、できる自分を否定しないのだ。

また、自分を抑えて人と関わっても仕方がない。自分は自分、人は人。できることを怖がらず、できることを怖がられないかと不安がらない。TPOは大事だけど、利害が絡まない相手なら、なるべくありのままでいたいと思う。相手に伝わる優しさを調整できる能力なんてないし、人の感情は思い通りになるほど単純じゃない。そのとき次第だと思う。


幼稚園~小学校ころのやまだは、おせっかいな感情と間違った優しさを持っていたようです。
駄文ですが、ここまで読んでいただきありがとうございます。
失礼いたします。




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