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ゲームにおける作業感との向き合い方

楽しくゲームをプレイしている時に不意に脳裏をよぎる、
「あれ?これってただの作業じゃない?」
という考え。
そう思ったが最後、さっきまでのウキウキ感はどこへやら、
一気にプレイ意欲が減退し、そっとコントローラーを置いてゲーム機の電源を切ってしまう……
そんな経験はありませんか?
わたしはしょっちゅうあります。
ただでさえ手つかずの積みゲーがあるというのに、「作業ゲー」認定してプレイを中断してしまったゲームも増える一方。

ただ、「作業ゲー」そのものが悪いわけではありません。
ほとんどのゲームはいったんシステムを把握したら、クリアするまでそのルールにのっとってプレイを続けていくわけですから、それを「作業」と表現することもできるわけです。
では楽しい「作業ゲー」とそうでない「作業ゲー」の境目はどこにあるのか?
先に言ってしまうと、これには確実に個人差があります。
ゲームの向き不向きが関わってくるので、ある人にとっては楽しい作業がある人にとっては耐え難い苦痛である、ということが大いにあり得ます。
そのためこの記事でも明確な結論というものは出しませんし、出せるものではないでしょう。
なので、ここから書くことはわたしの個人的な考えになります。
そのことを念頭に読んでいただきたいです。

わたしがゲームに「作業感」を覚えてプレイをやめてしまう時、それは言い換えると「作業感の耐えがたさがゲームへのモチベーションを上回ってしまった時」だと解釈しています。
ストーリーのある作品であれば、「話の先が知りたい!」という気持ちがプレイの推進力になると思います。
ですがここ最近は特に、ゲームシステムを理解した時点で、「この話の結末を見るためにあと何時間(あるいは何十時間)も延々と同じ作業を繰り返していかなくてはいけないのか……」とゲームプレイが「ノルマ」「タスク」のように感じられてしまいプレイをやめてしまうことが多くなりました。
おそらく、その時点でそこまでストーリーにのめりこんでいないのだと思いますし、長年ゲームをプレイしてきたため大体のセオリーをつかんでしまっているため「やらされ感」を強く感じるようになったのかもしれません。

ですが、わたしがシンプルなゲームシステムの作品をプレイしないのかと言えば、そんなこともないのです。
例えば『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(Switch/任天堂/2017年)は400時間くらいプレイして、無事エンディングに到達しています。
あまりにも有名なので細かい説明は不要かと思いますが、このゲームでは最終目標であるガノン討伐を達成すれば、他は何をしても、しなくても自由なゲームです。
塔に上ってマップを開放するのも、祠を探すのも、「ウツシエ」の場所を探して過去のストーリーを把握するのもゲームクリアには必須ではなく、プレイヤーがしたいかどうかだけで決められます。
わたしは祠とコログはコンプリートしていませんが、マップはすべて開けてウツシエも集めましたし、マスターソードも持っています。

これが噂のマスターソードか……


自分の家も最後まで改装していますし、イチカラ村もすべてのイベントを見終えました。
そして、驚くことにプレイしている間、不思議なほど「作業感」はありませんでした。
それは先ほど述べたように『ブレワイ』においてはほとんどの要素が「やってもいいしやらなくてもいいこと」であることが関係していると思います。
プレイヤーが「今日はあそこの祠まで行ってみよう」「いかにもコログがいそうな特徴的な地形があるからちょっと調べてみよう」と自分で目標を定めて遊べるからこそ、長続きしたのだと思います。

ちょっとかっこいいリンク


この『ブレワイ』の事例を考えてみると、ゲームをプレイするにあたってメインの目標以外に自分でなにかしらの目標を定めることができればモチベーションが長続きするのではないかと思えてきます。
作業のひとつひとつにポイントを見出してそれを細かく達成していくことで満足感を得るという方法です。
たとえばRPGのレベル上げひとつとっても、そのあとに待ち受けるボスを倒すための作業だと思わず、「あの技を使ってみよう」「こういった順番で行動すれば効率的なのではないか」とレベル上げそのものに面白さを見出すことができれば「やらされ感」は軽減できるのではないでしょうか。

短時間で終わるADVなどではあまり適用できないとは思いますが、ある程度ゲームプレイに幅のある作品ならば使える手なのではないかと思います。


ただ、やっぱり一番の解決法は自分が本当に興味を持ってプレイできる作品に出会うことなのでしょう。
どんなに単調なゲームプレイだとしても、自分が本当にその作品を面白いと思えていればまったく苦にはならないものだと思います。
ゲームは無理をしてやるものではありませんから、心から楽しめる作品に出会えるよう、日々アンテナを張り巡らせていくのも大事なのでしょう。

また、売れている作品はやはり面白いことが多いと思います。
わたしも『ブレワイ』をプレイする前は正直その人気に懐疑的でしたが、遊んでみてその奥深さに唸らされました。
もちろんはじめに述べたようにゲームは人によって向き不向きがあります。時間は有効ですから、自分に合った作品を見つけて有意義な時間を過ごしたいものですね。

今回の記事は以上となります。
あくまでも個人的な見解とはなりますが、自分なりに「ゲームに感じている作業感をどうしたらいいか」という問題へのアンサーを導き出してみました。
他のゲーマーの方の意見もぜひ聞いてみたいテーマだと思いますので、この記事をお読みの方々もX(Twitter)やnoteやブログなどで意見を書いていただきたいです!

ここまで読んでいただいてありがとうございました!