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Barbenheimer の潰し方


Barbenheimer経緯

□発端
 ことの発端はハリウッド映画『バービー』-グレタ・ガーウィグ監督/ワーナーブラザーズ(WB)配給と『オッペンハイマー』-クリストファー・ノーラン監督/ユニバーサル・ピクチャーズ配給という毛色の全く違う話題作二作が、それぞれ7月21日に米国で公開されることになったこと。
 誰もが知っているバービー人形の実写映画化と科学者オッペンハイマーが原爆を開発し使用された後までの実話の映画化という極端な組み合わせです。普通の映画宣伝ならその映画を見に行くかどうか?を決断してもらう必要がありますが、あり得ない組み合わせが話題になったことで「どっちを観ようか?」という方向に観客の意識を向けることが出来た。さまざまな余暇の過ごし方がある中で、公開日にその映画をみるかどうか?だととても確率が低くなりますが、どっちを観る?という意識を観客にもたせた瞬間に乱暴に言えば50%まで確立が跳ね上がりました。

□ミーム発生

 そして#Barbenheimerのハッシュタグが登場しました。上記は初期の例、昨年2022年7月21日の投稿です。画像はそこまで悪趣味ではありません。
ただ、みんながどんどん調子に乗って、日本人の感覚からしたら大変悪趣味な画像がSNSに溢れました。
 公式が放置しており怒られることもないと思われるので張り付けてしまうとこんな感じ。

Barbenheimerのミーム画像

 悪趣味なファン・アートは著作権を盾にWBが削除させることもできたわけですが、放置されました。この段階では、特定の犯人がいた訳ではないので日本のSNSユーザーも不快感はもっていたものの、リアクションの数は少なかったようです。

□BarbietheMovieが反応
 ところが、Barbenhiemerミームで無料で数十億単位のインプレッションを稼いだ米国の公式アカウント @BarbietheMovieは調子に乗ってしまいました。
 7月21日(日本時間)Barbenheimer 関連の投稿に、確認されているだけで3件リプライを付けたのです。結果いらだっていた日本のSNSユーザーは、怒りをぶつける対象を発見し批判的投稿が日米のバービー公式アカウントに溢れました。

WB公式によるリプライ

 上記が問題のリプライのうちの2件。
 「思い出に残る夏になりそう」「(バービーの髪をきのこ雲と差し替えた画像に)これケンがスタイリスト」とコメントもふざけています。結果としてこれらのリプライだけでなく、日米のバービー公式Twitterアカウントの投稿にはことごとく、上記のスレッドに限らず批判的なレスがつきました。

□日本のバービー公式がWB本社に謝罪要求
 
投稿の一部には日本ですら普段目にしないような被爆者の凄惨な画像が含まれ、またバービー公開中止を求めるものまであらわれました。結果、グレタ・ガーウィグ監督が来日して参加するジャパン・プレミア上映を8月2日に控え、その後8月11日に公開を予定していたWBの日本法人は7月31日に日本法人の立場で謝罪声明を発表。そこには米国本社へ然るべき対応をとるように伝えた旨も含まれていました。

□WB本社の心からのお詫びと心ない対応の継続
 
これに呼応してWB本社が声明を報道機関向けに送付したのが日本時間の8月1日。
 「ワーナー ブラザーズは、最近のソーシャルメディアへの無神経な取り組みを遺憾に思っています。 スタジオとしては心よりお詫び申し上げます。」
 が全文の翻訳です。同時に上記の投稿2件を削除しました。

 一般的に、米国のエンタテインメント企業やエンタテインメント関係者が不適切な投稿などで謝罪をするとき、みっつくらいの要素が含まれます。
① 陳謝し問題の投稿をすべて削除する
② 問題の投稿を行った担当者の社員の価値観は当社の価値観とは相いれないので解雇した
③ 関係団体に寄付させていただく

 日本のSNSユーザーが強請り集りを目的としているわけではないので③は不要と思いますが、それにしてもWB本社の謝罪は①の半分で終わっていました。「心からのお詫び」とは言っているものの、3件のうち何故か上記2件のみ削除して、下記1件は8月7日あたりまで削除されませんでした。


残りのひとつ

 謝罪がおざなりどころか、謝罪後も問題のリプライを温存し続けた訳で、日本の観客の軽視は残念ながら明らかでした。
 そうこうしている間に映画『バービー』自体は世界興収が10億ドルを達成するという記録的ヒット作となっています。今後続編製作決定!の発表があるかもしれません。主演のマーゴット・ロビーはプロデューサーも兼ねており、また、グレタ・ガーウィグはディズニーの実写版『白雪姫』の脚本家でもあり活躍が続きます。放置すると、目先の映画公開どころか、SNS利用者は一般にかなり執念深いので、続編に対しても、二人の日本での今後の評価にも悪影響が続くことになります。今後WBがどう対応していくのか? 興味深いところです。

どうしてこうなった?- 怒らない日本人をハリウッドは舐めていた

 騒動になったのは公式アカウント @BarbietheMovie がBarbenhiemer投稿にリプライを付けたのが直接のきっかけです。それまではWBへ直接の批判が集中することはなかったわけで、炎上の理由は”広島・長崎への原爆投下をたがか映画の宣伝のために商業利用するのは許せない”という当たり前の感情です。
 WB本社の直近の対応には上記のように不可解な要素もありますが、なぜこの観点が軽視されてしまったのか?まず考えてみます。

1.日本の観客はそもそも舐められていた
 
日本の観客は文句を言わない、とハリウッドで考えられてきたと思われる節があります。士郎正宗のマンガ『攻殻機動隊』のハリウッド実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』(2017)ではスカーレット・ヨハンソンが主演。アメリカでは、草薙少佐をホワイトウォッシングするな!と白人女性のキャストを批判する声が上がりましたが、日本の観客は冷静。作品として大成功するものであればいい(裏切られましたが…)、そもそも人間キャラじゃねーし…というのが多くの日本の観客の感覚だったと思います。  
 もう一例、『エターナルズ』では原作コミックのキンゴはサムライ・キャラ。2021年のMCU実写映画版のその役にはパキスタン系俳優がキャストされて、意味不明な南アジア戦士に変更されました。これも日本ではほぼ批判なし。 原作段階のサムライ・キャラがそもそも勘違いぽくて、かつ日本には原作ファンが少なかったという点に加えてもう一つ要素があったと思います。
 本来特定民族が配役されるべき役に他の人種/民族の俳優がキャストされたとき、”自分の役が盗られた!”と騒ぐのはこのケースなら韓中日系の東洋系ハリウッド俳優です。ただサムライは中国・韓国市場でネガティブなイメージ有。そのせいか韓中系の俳優は黙ってしまいました。また日系はもともとアグレッシブでないので炎上しないだろう、と見透かされたという要素もあったと思います。
 さらに、2021年の『ゴジラvsコング』(WB配給)には一応小栗旬が出演しましたが、驚く程出番が限られていました。ほとんどいないのと一緒でしたが、これも日本の観客はスルーしました。
 要はハリウッドの経験則として日本関係の表象やIPはコケにしても炎上しないので、バービーの米国宣伝チームも一切気にしていなかったのでしょう。

2.怒らないはずの日本人が確実に怒り出すポイントを知らなかった
 怒らないはずの日本人を確実に怒らせることができるポイントがおそらくふたつあります。
 天皇陛下・皇室への侮辱と 原爆・被爆者に対する侮辱です。
 天皇陛下の方はおいておいといて、原爆・被爆者に対する侮辱がなぜ許せないかというと、日本人が否応なく人類としての意識をもつ話題だからというのがひとつの説明の仕方だと思います。
 広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」ととあります。主語がないので公式の英訳をみると ”Let all the souls here rest in peace; For we shall not repeat the evil.”なので、主語は【私たち】。
 ところが、【私たち】=アメリカではありません。アメリカをコントロールできるわけではないので。同様に、ソ連(当時)他の核保有国でもありません。また、【私たち】=日本人/日本にはなりません。持っていないものを使わない約束をしても不誠実なだけです。
 そうなると目線を一段高くして、人類=【私たち】が過ちを繰り返さないと約束してるいということになります。敵味方の話ではない。
 原爆投下については日本人は否応なく人類代表で発言しなければならない立場におかれてしまった、でもできればそんな立場になりたくなかった、何人たりともあんな目に遭うべきではない、というのが多くの日本人が持っている意識だと思います。そんな立場になりたくなかった、という心情が「過ちは繰り返しませぬから」という主語のない文ににじみ出ているのかもしれません。

 そもそも原爆のような兵器の使用は当時から国際法で禁止されていました。どの国際法のどこに抵触するかはここでは問いません。大日本帝国は無条件降伏したので、国際法違反を追求する権利もその時に放棄してしまいました。無条件降伏から78年経った今、日本のネットユーザーが国際法がどうしただのぐずぐずぐず”ゴールポストを動かす”ような発言をするなら卑劣なだけです。日本人なら恥を知るべきです。
 仮に無条件降伏がなかったとしても、一般市民の犠牲を厭わない戦略爆撃の最初は日本軍の重慶爆撃であるという説もありますし、大日本帝国も原爆の開発は進めていたわけで単に間に合わなかっただけです。完成していれば躊躇なく使用したでしょうから、一方的な被害者ヅラもほどほどにすべき。

 大日本帝国の残虐さもふくめて、【私たち】は過ちを繰り返さないという決意をし、それが大多数の日本人に支持されているわけで、だからこそ、Barbenheimerミームに対しては政治的な立場に関係なく国民的な嫌悪感が幅広く蓄積したのだと説明できます。

Barbenhiemerの潰し方

 ここまで整理した上でどうするか考えます。
 まずBarbenheimerファンアートについてですが、本質はインターネットユーザーの暇つぶしですから、これはどうしようもありません。我慢するしかない。唯一の救いはこのミームで興味をもって、『オッペンハイマー』をみる観客が一人でも増えることです。
 『オッペンハイマー』は、マンハッタン計画を主導し原爆を開発した科学者オッペンハイマーが、広島・長崎の惨事に深く後悔し戦後は核兵器管理を主張するようになるが…という伝記映画です。
 広島・長崎の原爆投下をアメリカ人は正しかったと教わるというのは常識ですが、アメリカ人の教育=思考停止に挑戦するような内容です。【私たち】からすれば、是非一人でも多くのアメリカ人に観てほしい映画です。
 7月21日、Barbenheimerミームで、どっちを観る?と問われたアメリカの観客は『バービー』に殺到しました。公開初週の米国での週末興行成績は『バービー』が162.0百万ドル(約227億円)、『オッペンハイマー』は82.5百万ドル(約116億円)数字だけ見たら、恥知らずにもミームに便乗した『バービー』が圧勝してしまいました。ひどい話に思えます。
 ただそうとも言い切れないのです。 

・便乗したのは『オッペンハイマー』の方
 米国での市場調査結果では『オッペンハイマー』を公開初週に観た観客の60%が”『バービー』が売切れだったから『オッペンハイマー』を観た”*というのが明らかになっています。陰気なテーマで大スターも登場せず3時間つづく『オッペンハイマー』の方が、興行的には『バービー』に便乗したのです。クリストファー・ノーランは名作を撮る監督ではありますがヒット作を撮る監督では必ずしもありません。『TENETテネット』(2020)の公開初週北米興収は9.4百万ドル(約10億円/105円換算)。『ダンケルク』(2017)は同じく50.5百万ドル(約57億円/113円換算)。単純比較でコロナ中公開のTENETの8.8倍、コロナ前のダンケルクの約1.6倍です。
 Barbenhiemerミームが存在しなければ、『オッペンハイマー』を観なかったかもしれないアメリカ人観客が、大勢この映画を観ることになったというはっきりした傾向がでています。
 結果としてBarbenheimerの意味もどっちを観る?ではなく、両方観よう!と理解して本当に両方観ることにした観客も多いようです
 例えばスナク英首相のご一家は、家族会議の結果Barbenheimerのうち『バービー』鑑賞決定!

  一方、カナダのトルドー首相は息子さんと『バービー』、娘さんと『オッペンハイマー』を鑑賞。Barbenheimer両方観る派です。


 【私たち】が目指す世の中のために何ができるのか? 答えは大変アイロニカルですが、大変明快です。一人でも多くのアメリカの観客を『オッペンハイマー』に呼び込むことこそが、原爆に対しての理解と恐怖をより多くの人と共有する稀な手段となります。そのために、まずは我慢・自制し、Barbenheimerミームそのものを赦すことが、将来このようなミームを生むような無知・無関心を潰すことにつながる。それが、核使用の回避はもちろん、核兵器そのものがない世界を目指すという【私たち】の志にそった行動となります。悔しくても、当分は我慢するしかないようなのです。

【本文終】

*引用元: KCRW Podscast "The Business"  「Barbenheimerの成功+夏のボックスオフィス・チャレンジ」(2023/7/28配信)

 

註:トップ写真は某映画館で暗がりに置かれた映画『バービー』のなりきりスタンディ (横位置なのはわざとです)