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サブスク時代にCDを買ってしまう高校生の休日

たとえば何か嫌なことを言われたり、誰かのペースに合わせなきゃいけなかった平日があったとしても、休日になればこっちのものである。スマホを機内モードにして机の引き出しへ。

さあ、私だけの休日のはじまりはじまり。

お気に入りのカップに甘いコーヒーを淹れてベッドサイドの棚に置く。大好きなロックバンドのCDを並べた「お気に入りスペース」から、今日の気分にあわせて一枚を手に取る。いやこれも捨てがたい、なんて思いながら選んでいるといつの間にか三枚ほど手に持っていたりする。CDプレーヤーの電源を入れて、CDをセット。ディスクのデザインにも物語性を感じてなかなか蓋を閉められないこともしばしば。蓋を閉める。カチッ。ぐるぐるとCDがまわる。止まったら読み込み完了の合図。音量は大丈夫だっけ。危ない危ない、前回は家に私だけだったから大音量で聞いていたんだった。ちょうどいい音量にして、再生ボタンに触れる。緊張の一瞬。大好きな音楽が始まる。

ふかふかのクッションが待つベッドに腰掛けて、流れてくるメロディに身を委ねる。明るいフレーズは何度だって私を救ってくれる。歌詞カードを開いてみる。寄り添うような歌詞は目にも優しい。ここのギターソロ、何度聴いてもかっこいいな。そうしているうちにあっという間に一曲目が終わる。

選ぶCDは日によって様々。初めて買ったCDを選んでその出会いに想いを馳せたり、なんでもない日にアニバーサリー仕様のCDを選んでスペシャルなインタビューブックレットに目を通したり、決意の歌を聴きながら今の自分と重ね合わせたり。

部屋に誰かがいるときは、おとなしくウォークマンで音楽を聴く。スマホでもいいのだけど、CDをパソコンに取り込んでさらに機器に転送するという作業が詰まっているウォークマンのほうが、なんだか愛着がある。好きなバンドのステッカーを貼ったマイウォークマンは塗装がところどころ剥がれてしまっているのに、Bluetoothヘッドフォンを買うときにコード付きのものをわざわざ選ぶほど買い換えたくなくなってしまい、もう愛着を通り越している気もする。

CDには再生回数がない。「あなたへのおすすめ」もない。高評価の数もコメントも付かない。その代わりに、買ったときの思い出や数え切れないほど再生したこれまでの日々や何気なく手に取った今日がより鮮明に残るような気がする。その一枚は思い出の詰まったアルバムであり、アーティストの生きた証でもある。

発売日にCDを買いに行って、棚に並べて、聴きたいときに出すのは、スマホで買って、ダウンロードして、片手でプレイリストを作るより手間がかかる。

そういえば以前、放送委員の友達がリクエストを募っているというので、嬉々としてCDを持っていったことがあった。結局「スマホからしか流せなくて、、、」と言われ、隠しきれないショックをなんとか隠しながら、CD文化消滅の危機感を胸に、肩を落として帰った記憶がある。

それでもCDを買ってしまうのは、予定のない休日を彩ってくれるような魔法がかかっているからかもしれない。CDを手に取っただけできちんと休日をすごせたような気がした。

今年のゴールデンウィークは初めて買ったCDを聴こうかな。


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