岡田暁生『西洋音楽史』より

”「〇〇〇〇年に誰々が何々をどこそこで作曲した。」これは正しい事実であるかもしれないが、意味をもった歴史記述ではまだない。それは正しいけれども、まだ無意味(ナンセンス)なのだ。「事実」に「意味」を与えるのは、結局のところ「私」の主観以外ではありえない。言い尽くされたことではあるが、「歴史を語る」とは常に私と歴史との対話である。”(「あとがき」233頁)