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「明日の教室」デュオセミナー 「国語教育化の真髄を愉しむ」に参加 K③

 先日久しぶりに「明日の教室」という研究会に参加した。学生の頃は、ほぼ毎月参加していたが、忙しさにかまけたりコロナ禍ということもあって徐々に参加しなくなっていた。しかし、今回のものはどうしても参加したかった。その理由が、野口芳宏先生、堀博嗣先生が登壇するからだ。参加した結果、期待通りというか期待以上のお話が聴くことができた。その中でも印象に残っていることがは「文学を楽しむ」ということだ。

 第2部の「教材研究を愉しむ」で野口芳宏先生が仰った内容だ。文学作品は「教材研究」をしようとすると必ず教師というフィルターがかかり「どのように教えるか」や「この発問の答えはこの文だな」などと考えてしまう。そうなると作品が頭に入らない。したがって、まずは「素材研究」を行い、文学を楽しむことが大切だという。これに対して、すごく衝撃を受けた。いや。何か繋がったように感じた。

 先々月、5年生の国語科の校内研究が行われた。「たずねびと」という作品を使ったものだった。学年部が同じなので、指導案検討から参加。そこで主人公「綾ちゃん」の気づいたことは何かという問いの答えをみんなで考えていた。一昨年に自分も行なった授業なので物語は頭の中に入っていた。そして、みんなが出した結論は「戦争は悲惨なもの」というものだった。私はストップをかけた。5年生に至るまでに「ちいちゃんのかげおくり」や「一つの花」など「戦争教材」はいくつかある。ここに来て「戦争は悲惨なもの」なんて浅いところに着地するのかと思い、「恥ずかしくなった」という文章から違う考えを提示した。これと、野口芳宏先生が仰ったことが繋がった。きっと、この国語の指導案検討の時は「教材研究」という観点よりも「素材研究」という観点から作品を見ていたのではないかと思う。自分が行ったのは、「文書中の表現に着目する」ことだ。初歩的なのかもしれないけれど、文学を愉しむにあたって大切なのかもしれないと再確認した。

 まだまだ学んだことはあるが、2週間経った今でも消化できていないことがある。これは、子どもたちに指導しながら消化していったり、文学作品を読んでいるときに何か繋がったりしていくのだと思った。そして、このセミナーには、たくさんの著名人が参加しておられた。それだけ伝説的なセミナーなんだと感じた。今年度、教科担当制の関係で国語科の指導をしていない。しかし、国語科の指導をしてみたいと思う時間だった。

※愉しむと楽しむの違い

愉しむ…自分自身の気持ち、想いから生まれるたのしい状態
楽しむ…与えられたこと(物理的)に対してたのしく過ごす事

(引用)

POPCORN PAPA 社長ブログ 2017/10/17
「楽しむ・・・与えられた,でいくらでも変わるということ」

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