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#175 面白半分日記39 QUESTするために合理と情理のバランスを

新しい科目を担当することになった。
ついこの間まで高校生だった1年生対象の科目だ。

共に探究・研究しよう!」と叫ぼうと思う。

徹底的にクエストさせよう。

第1回目はオリエンテーションを兼ねてやるお試し授業。

「この先生は初っ端からテンション高くてウザイ」と思われたらアウトだ。

第1週目は履修科目の変更が可能な期間なので逃げられる可能性がある。

笑顔が大切。
「大丈夫、ボクは怖い先生じゃないからねぇ~」と穏やかな笑みをたたえながら仏様を装う。

今から鏡を見て練習しなきゃいけない。

鏡を見ながら笑顔をつくってみたが、ニタニタ、ニヤニヤしている自分が映っていた。

かなり怪しい。


すでに心の内には芯や核になるものができている。

90分間の講義一辺倒から脱却し、2年次以降のゼミ活動につながるよう学生の主体性と協働性を大切にしたい。

問いを立て学ぶ。
これを「学問」と呼ぶ。

探究は「さがしきわめる」こと。
研究は「みがきわめる」こと。

高校の『総合的な探究の時間』が “ 探し究める ” なら、大学生はより高度な “ 研き究める ” だろう。

課題設定(RQ:リサーチ・クエスチョン)からはじまり、計画立案、調査、実験、研究、フィードバック、学び直し、考察、討論、表現(プレゼンテーション)、価値付け、といった一連の手順は同じだ。

高校勤務時代は、オノマトペ的表現をキーワードにすることが多かった。

「さあ、みんなでワクワク、ドキドキするようなことをやってみてよう!」と。

管理職になってからも、担当する先生方のモチベーションをあげるために、同じようなことを言っていた。

活動中もオノマトペが入り乱れる。

生徒はワイワイ、ガヤガヤとワークショップをやり、時にはダラダラのらりくらりと作業が停滞する。

それを見守る教師はハラハラ、ドキドキし、時にはイライラする。
ビシバシ鍛えてやろうかと心を鬼にすることもある。

それでも優しく辛抱強く寄り添っていると、生徒たちはやがて目をキラキラと輝かせ、遂にはピカピカの作品をつくりあげる。

心にズドンと響くものもあり、思わず胸にジーンとくる。

もちろん、未熟ではあるがゆえの失敗は多いし、完璧な出来映えとは言い難い。
何となくモヤモヤした感覚はあるが完璧を望んではいけない。

ずばり、やりきったかどうかが重要だと思っている。

まちづくり、ビジネスアイディア、SDGsなどは単なる思いつきだけでは夢物語で終わってしまう。

商業高校出身者は金勘定とともにデータ処理、アルゴリズム、マーケティング、マネジメントの基礎知識など、普通科出身者にはない感覚が身に付いている。

グループ編成ではいろいろな人材をうまく配分するよう画策を試みるが、こちらの思惑とは関係なく、人と人とが交わると不思議な化学反応が起きて驚くことがある。

大人の事情が渦巻く実社会とは明らかに異なる空間だ。

学生もこれで飯を食っているわけじゃない。

でも、その延長線上には飯が食える大人になることが目標としてある。

新科目は探究・研究に特化して担当教員の好きなようにやっていいと言いわれたので、今からワクワク、ドキドキしている。

これを機に私は野生のチンパンジーに戻るかもしれない。

意味もなく学生の周りをウロウロ歩き回る可能性がある。

相変わらずオノマトペだな。

合理情理のバランスを考えたい。

論理を構築したり物事の構造を理解することを重視しつつ、場の状況を理解し、仲間の感情を推察しながらコミュニケーションをはかる能力も必要だ。

場の力をコントロールしなければいけない。

画像はいつものイラストACを借用