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#39 「若いうちしかできないこと」は、賞味期限として設定されているのか?

「若いうちにしかできない」

「今しかできない」

ほぼ同世代だった故・西城秀樹は「若いうちはやりたい事 何でもできるのさ  ♪ 」と歌っていた。ヤングマン!

若いうちに夢へ向かってチャレンジするのは悪いことではない。

グレる、やんちゃするのも若いうち?

無茶できるのは若いうち?

校則違反は高校生のうち?

勉強を放り投げて遊びに熱中するのは若いうち?

それは別な話か。

私は、あれもやっておけばよかった、これもやりたかった、ということが多すぎる。

カネや時間を理由にしたくはないが、しかし、何かを実行する時に、それらが重要な要素になることは往々にしてある。

しかし、自分で「やらない理由」「できない言い訳」探しをしていたかもしれないと思うことがある。

能力的なことも含めて、自分の中に不足するものがあることに気付いたとき、それを補おうと心に決めるか、逆に諦めてしまうかで、人生はずいぶんと違ってくるのだろう。

後悔はある。

あれさえやっておけば、今頃は政権与党の党首として内閣総理大臣になっていたと思う。

あるいは、あの時、しっかり心に刻んで努力すれば、宇宙飛行士として何度も宇宙へ行っていただろう。

少年野球チームでもっと努力していれば、あれから50年後にWBCで侍ジャパンを指揮して世界一の監督になっていただろう。

大学生のとき真面目に勉強していれば、司法試験と公認会計士試験に合格し、弁護士兼公認会計士の二刀流で活躍していただろう。

・・・・妄想する自由と権利はある。

違法行為や人権侵害、誹謗中傷でない限り、noteに好き勝手に書くことは許してほしい。

実際のところ、思いを実現しようとしても人生には様々な制約がある。

マインドセットされていることも多いだろう。

欲張りはいけないが、人生にはパラダイム(ものの見方、考え方)の転換点があって、優先順位を付けて取り組まなければならないことが連続している。

何かを捨てなければいけないときがある。

私は捨ててはいけないものを捨てたことが何度もあった。

新たな方向へ進もうとした時、自分に足りないものを突き付けられ、さて、どうしよかという場面が何度もあった。

「人生は一度きり、やりたいことを精一杯やろう!」と言っても、経済的に可能・不可能の階層に分断されている現実がある。

自分一人ではできないことを、誰かの手を借り、支援を受けながら事を成し遂げている人もいる。

「生きる力」とはそういうことなのだと思う。

教え子たちの活躍を見るにつけ、素晴らしいなと思うことがたくさんある。

経済的・学力的な困難を乗り越えて海外を放浪し、異文化・多文化に触発され、国際舞台で社会貢献している教え子がいる。

決して奇跡や稀な事例ではない。

地域で地道にボランティア活動をしているうちに、現状を変えるために「政治家になろう!」と行動を起こし、真摯に政治と向き合っている教え子もいる。

めざす方向や言葉の使い方がちょっと違うんじゃない?という事例も多い。

やろうとしていることが、軽率だったり愚かであったり、無謀な行為であるにも関わらず、「若いうちしかできないから」と言いながら、おかしな行動をとるケースだ。

禁断の領域というと大げさだが、若者の心を魅了するようなこと(違法ではないが、やることによって不利益を被る可能性がありながらも、一時的に心を満たすことができるようなこと)が手の届くところにあると、「そうだ、若いうちにしかできないから・・・・」と、何かの魔法にかかってしまうのである。

暴走族が公道でブイブイ言わせてパトカーとカーチェイスしてスリルを味わって、気分はスッキリするかもしれないが、多くの人に迷惑をかけ犯罪行為に手を染めるとなると、話はまったく違ってくる。

堅気とヤクザの中間なら大丈夫だろうと「半グレ」に所属し、度を超えた“やんちゃ”で結局、檻の中に入る者もいる。

「若いうちに・・・」というが、
人生や年齢に賞味期限、消費期限はあるのか?

「成人する前、お早めにお食べください」とか。

そもそも「若いうちにしかできないこと」は他にもたくさんある。
「若いからこそ」と言うべきか。

勉強、語学、読書、体を鍛える、いろいろな習慣の確立など。

歳を取ってからだってできるかもしれないが、若いうちのほうが吸収力はある。

目的・目標をもって時限設定することは大切だが、己の可能性を時間で見切ってしまうと、それ以降の人生はチャレンジしない生活になってしまう。

「今のままでいい」と、波風立てない人生は、それはそれでいいかもしれないが、どんなに誠実に真摯に暮らしていても、ちょっとしたトラブルは起こるものだ。

家庭内で、町内会で、地域で、職場で・・・・・・人と交われば、「分かりあえなさ」に翻弄される。

価値観の違いを埋め合わせるために、若いうちに見て聞いて感じて、可能な限り適応できる能力を身に付けること、そのための体験も必要だと思うのである。

それでも、分かりあえなさの溝が深すぎて解決できないことだってある。

紛争やテロ、戦争が起こっているのもそういうことなのだろう。

「若いうちだからこそ、これをやる(やりたい)」を見つけられるといいのだが。

でも、学生と話していると「特に、やりたいことがありません」という答えが返ってくることが結構ある。

それを全否定しようとは思わない。

自分も通ってきた道だから。

SNSざんまい、YouTubeで時間を浪費しているという。

インフルエンサーから刺激を受けるが、行動には移せないという。

他者がお勧めするやり方や、サクセス体験を自分に置き換えても再現性に乏しいと見切ってチャレンジしない。

自分でマインドセットしていることもあるだろう。

「どうせ自分には無理・・・・」

「もう夢を見ている年齢ではない」

今日、大学の入学式に出席した。

高校3年間、多くのことが制限され、いろいろな思いを抱いてきた新入生たちだ。

来週からいよいよ授業が始まる。
共に学ぼう。