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#173 読書日記33 ミヒャエル・エンデの世界

『魔法のカクテル』ミヒャル・エンデ

以前にエンデ作品として
『はてしない物語』
『モモ』
を取り上げたが
今回は『魔法のカクテル』

いずれの作品も、長男から次男、三男へと読み継がれている。

ページをパラパラとめくりながらスートーリーを思い出した。

本書は1980年代の作品。

物語は、大晦日の夕方5時から年が明けるまでの7時間という時限設定の中で展開されている。

挿絵によって時間の流れを意識する仕掛けになっていて、比較的あっという間に読めてしまう。

児童書ゆえ、ハッピーエンドではあるものの、作品を通じてあの時代に21世紀に生きる人類へのメッセージが込められていることに気付くのである。

イソップやグリムの童話にも動物が出てくる。
大体、肉食系、雑色系は悪者として描かれる。

こずるいキツネ、凶暴なオオカミ、悪賢いカラス・・・・

物語のなかで悪いことをしたり良くない考えを持っているのはこれらの動物という設定になっているが、人間の内面に存在する醜さを動物に投影しているだけに過ぎない。

人間に内在するリアリティを動物に転嫁しているわけで、現実の動物たちは理性や感情で行動しているわけではなく、生きるための本能として行動しているだけだから動物に罪はない。

別に動物愛護の精神を論じたいわけではない。

小説にしても童話にしても、物語をつくるということは、書き手が伝えたい人間のリアリティを、読み手の心が受け入られる次元に落とし込みながら何らかの経験をさせることを目的にしている。

書き手自身にとっても、一言では表現しきれないから、文芸作品として提示しているはずだ。

幼児や低学年児童向けの物語となると、人間のリアルな醜さはドロドロしていて複雑すぎるので、人間を使わず動物、植物、鬼、悪魔、妖怪などに悪を演じさせているわけだ。

『魔法のカクテル』の主人公は悪い魔法使い(黒魔術師)だ。
ここでは猫とカラスが大活躍する。

さまざまな童話を通じて、幼い子も成長と共に人間の醜さを知るわけである。

でも、人間は反省・改心して負の側面を消し去るだけの強さや正義の心を持つことができるんだよ、ということを学ぶのである。

テロや戦争が続く今日、エンデ独特の多義的な文学手法が子どもだけでなく、大人に重要なメッセージを与えてくれている。

文学そのものでテロや戦争をなくすことはできないが、人の心を動かし、心を変え、心を育てることはできる。

私はそれが「文学の実効」だと信じている。