見出し画像

#29 他人は自分を映す鏡

◆生きづらさの原因

高校で教頭・校長をしていた時、臨床心理士をめざす大学院生の指導教官をしていた時期があった。

四年制卒(学士)で大学院へ直進した学生だけでなく、現役の教員や看護師などベテラン社会人も混じっていた。

多様な高校生を相手に苦戦している院生のカバーに入ったり、相談相手になっていた。

そりゃあ、思春期は大変なわけで日々いろんなことが起きている。

既存の秩序や人間関係に息苦しさ、生きづらさを感じる中学生・高校生は多い。

いや、大人社会だってたくさんいる。

そうした人々と真っ正面から向き合うことを仕事にしている人は、自分自身のメンタルケアも大切だ。

「学校に行きたくない」
「生きることが辛い」
「毎日がつまらない」
「大人が信じられない」

私も、「ガッッコーのセンセーなんて大嫌いだ!」「学校に行きたくない」と思った時期がある。

大人になったらなったで、「仕事に行きたくない」と思ったことは何度もあった。

いろんな助けを借りて乗り越えながら今がある。

教師になってから、困りを抱えた生徒と一体どれだけ出会ったことだろう。

10,000名超の生徒と出会い、クラス担任として延べ400名程度の生徒と向き合い、己の無力さに心を痛めたこともあった。

生徒一人ひとりが目標とする地点にたどり着けるよう、さまざまな形で 支援をしてきた、と言うとカッコいいが、失敗もあった。

学校が、かけがえのない出会いと経験の場となり、成長の営みとなる場であってほしいと願いながら、いろいろな場づくりに取り組んできた、と言えばカッコいいが、学校を去った生徒もいた。

一人ひとりが固有の 「生」「性」を抱えている以上、たとえ息苦しさを感じる学校や社会であったとしても、何かしら生きる術を身に付けなければならない。

息苦しさや生きづらさを楽にするための心の管理とその方法として、ストレス・マネジメントがある。

ストレスフルな社会に対応するために、厚労省はストレス・チェックや、ストレス・マネジメントの重要性を説き、企業では年に少なくとも1度はストレスチェックを行い、必要に応じて専門家へ相談できる体制をつくっている。

私自身、頑固ジジイになって逆に他人にストレスを与えていないか、チェックしなければいけないと思っている。

自分の心持ちを変えれば楽になることは、経験的に身に付けてきた。

若い時ほど、イライラしないしクヨクヨもジタバタも、ガミガミもない。

もしかして、ただ鈍感になっただけか?・・・・・
そのうち、ブツブツと独り言をつぶやきながら、意味もなくウロウロと徘徊するのだろうか。

◆ミラーリングで自分の助け方を見つける

心理学に 「ミラーリング(鏡に映し出す)」という技法がある。

『 “困った人”は自分を映す鏡』という表現がある。
「子は親の鏡」と一緒だ。

困った人とは、自分から見て、困っている様子の人、立ち往生したりジタバタしている人のことだ。

あるいは、厄介な人、面倒な人、嫌な人のこと指している。

自分の潜在的な心が、そうした第三者(困った人)の言動に投影されているという意味だ。

「困った人が気になって仕方がない」

「世の中、困ったちゃん、ワガママ君がどんどん増えている 」・・・・

そう感じている人自身も何かの拍子に “困った人” に変貌するかもしれない。

もしかしたら未来の自分の姿を見ているのかもしれない。

“~であるべき” “~すべき” という考えが強い人ほど、他人の行動に不満を持ちやすいものだ。

「べき論」が極度に進行すると不満が増幅し爆発、炎上する。

◆自分ルールの見直しと心の断捨離

「仕事はこういうふうにやるべき!」と言う上司や先輩。

こだわり過ぎると無意識のうちに部下にもそのルールを強要する。

ルールを無視する者が目の前にいると、「私はがんばってルールを守っているのに、こいつは簡単にルールを破っている。

そうすると、「課長に言いつけてやる!!」 「懲らしめてやる!」という感情が湧き起こる。

「他人の行動(困った行動)」がたとえ違法ではなくても、自分の中にあるルール や常識と合致していないと気になるものだ。

何でもかんでも言われたとおりにやらなければいけないのか。

自分の「常識」は本当に常識なのか。

上司が指示していないやり方をやることは本当にダメなのか。

冷静に考えることが必要だ。

自分自身の考え方や視点を変えることで楽になれることはたくさんある。

不満・反感を通じて、自分自身や他人に課しているルールを点検することは大切だ。

自分のルールが社会のルールと一致しているとは限らない。

いきなり他人に強要すると摩擦が生じ、自分自身も生きづらさを感じてしまう。

「不機嫌は無言の暴力」と言われるように、精神衛生上よくない。

自分が不機嫌になるのは、自分の思考回路がそうさせていると思ったほうがいい。

「なんでこいつのために自分が嫌な思いをしなきゃいけないんだ」と思うより、そういう気持ちを封印して、考えを切り替えると心が軽くなる。

むしろ、「あいつの姿は、明日の俺の姿だ。気を付けよう」と思えばいい。

そうすると、自分のルールがひとつ減る。

相手の “ルール違反” に対する怒りも減り、やがて相手を受け入れる心が生まれる。

それまで気づかなかった “困った人” のよい面が見えてくる。

その結果、自分の周りから “困った人”が減って人間関係が変化する。

良好な関係になれば、相手に何か言うにしても優しさや愛情を持った表現になり、摩擦も生じにくくなる。

なんだか簡単そうに書いてしまったが、そうありたいと自戒の念を込めてみた。

鏡に映る己の姿に気を付けたい。