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#58 大学の「2025年問題」 

「2025年問題」といえば、「団塊の世代」800万人が75歳以上の後期高齢者になり、そこから様々な問題が起こるというあれだ。

教育界にとっても2025年問題はたくさんある。
大学の2025年度入学者選抜が大きく変わる。

高等学校の場合、新学習指導要領が導入されたのは現高校2年生からだ。

新しい教育課程で学んだ高校生向けの「新しい大学入試」を行われなければならない。

大学ではすでに検討会議を何度も重ね、特色ある選抜方法の準備を進めている。

ユニークであればいいというものでもない。

高校生やその保護者の関心は、在学中にどんな学びがあり、出口(就職)はちゃんと保証されているのか、ということだ。

地方の高校や大学は、少子化の影響で倍率が1を下回るケースは珍しくなくなってきている。

従来は、それぞれの学校の偏差値に応じて、同程度の学力を有する生徒を選抜していたが、入試による競争が失われてしまったために、同じ高校内、大学内でも少なからぬ格差が生じている。

入試というフィルターを通して、ある程度均質化した生徒・学生を集める高校・大学は、それぞれのレベルに応じた授業を展開し、効率よく学びを浸透させるという方法をとってきた。

しかし、その方法は以前より困難な状況になってきている。

学力格差(学力の二極化)が進行している。

小中高校では、「学力」の概念について再定義を行い、一人一人にしっかりとフォーカスした「個別最適な学び」による支援の方向へ動き出している。

変化の激しい不透明で不確実な未来を生き抜いていく上で欠かせない「探究心」や自己に対する「メタ認知」など、多様な力を育てるためには、もはや学校教育だけで達成できるものではない。

社会全体でそれに対応した教育システムを作り込んでいかなければならない。

特色ある教育に苦心している大学は多い。

厳しい経営状況に追い込まれ、今後は淘汰が進んでいくのかもしれない。

高大接続においては、いわゆる従来型の「学力」だけでなく、より多面的な評価によって、受験者の「思考力・判断力・表現力」を測り、より個性を重視した教育の連続性を担保しなければならない。

大学が必死になって、さまざまなデータを収集し分析しても、「少子化」だけは食い止められない。

内部では大小様々な委員会を立ち上げ、日々議論を交わし、いろいろなアイディを出し合っている。

高校に何十年も勤めていた私である。
大学に勤務して3年目、ようやく大学の台所事情や現実の学生の実態が見えてきたところだ。

いろいろ意見を求められるが、元高校側の人間はどう見ているか、どう感じているかを知りたいようだ。

高校側の論理と大学側の倫理・・・・
売り手と買い手の論理みたいだな。

教育機関におけるマーケティングとマネジメントか。

マーケティングとマネジメントは、切っても切れない関係ではあるけれど、ある意味、相容れない部分があって、それをどう調整するか、落としどころを見つけることも必要になる。

「本学は “ 学び続ける意欲 ”  “ 学びに向き合う力 ” を育てます!」と宣言しようが声高に叫ぼうが、結局、中身と出口の保証が信頼に足るものかどうか、数年かけて実績を出すしかない。

なぜか『改革の不条理』/菊澤研宗 を思い出した。