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柳町の歩道橋1

 柳町の歩道橋はイチョウの葉が道を埋める頃にはすっかり撤去され、跡形もなくなっていた。それは人類のひとつの歩行のかたちを一瞬にして変えてしまうようなおおきな出来事であったが、あらたに姿をあらわした最新式のうつくしい発光を有する信号機の明滅によって、すべてが上書きされ「なかったこと」にされた。実際、あんなにも急な階段を登る物好きはもはや存在しないに等しかった。「高いところから自分たちの街を眺めてみたい」という至極単純な思考をもった人々は、この街にほとんど残っていなかったのだ。なぜなら、歩道橋は「地面と滑り台」の次に高い場所としてすっかり馴染み深い場所になり、ほんの些細な視野の拡張(それは本来驚くべきことなのだが、もはや人々は驚くことにうんざりしていた)に対する支出、つまりその急激な上昇による体力の消耗と肉体の疲弊は、贔屓目にみても、採算のあわないものに成り下がっていた。採算を求めない者は、それこそ変人扱いされ、「頭の悪い」「無駄に行動的な」「暇人」だと揶揄され、もっと極端な輩からは「低収入」との烙印を押されることもあった。そこから逃れられるのは、子供たちと一見欲の一切ないような笑い方をするあの世に片足を突っ込みながら歩行する無害な老人たちに限られた。

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