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ポップライフ

 近所の業務スーパーでは、あいかわらずパープルレインが流れていた。この曲を耳にすると、頭のぬけた私はいつも憑かれたように茄子に目がいき手がのびた。己の短絡さを嘆く暇もなく、12本ほど入って298円のお買い得な茄子をカゴに入れ、かわりばえしない品々(納豆と豆腐、そしてレジ前の柏餅や大福)を迷うことなくぱっぱと放り込む。

 このところかかり続けるこの曲のために、私は茄子ばかり買わされて、それを味噌や麺つゆ、大葉とともに焼いたり煮たりして暮らしている。

 そしてはじめに頭にあった品々がカゴを満たしても、長い泣きのギターは響き続け、私は曲の終わりまで店内をうろつく羽目になる。昨日は咳き込みながらのラズベリー、今日は農協牛乳。彼のギターは罪深い。

 レジ打ちのおばさんは、カントロヴァーシーのコーラスのように会計をつぶやく(日本人も中国人も変わりなく)。しかしせめてもの慈愛ゆえか、彼女たちは3121はおろか、1999とすら発しない。その口が告げるのは、いつでもそれよりずっと下の数、私のポップライフを楽しめるだけの数。

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