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40年の時の流れ

先々週、封切の日に見に行ったのがこちらでした。夜8時からの回だったので、終わったのが11時前になりましたが、観客が10名もいなかったのでゆったり堪能しました。

私は今回のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「DUNE」より前にデイヴィッド・リンチ監督の「デューン/砂の惑星」を見ていたので、どうしてもそれとの比較になるというのは今回のPart 1を見た時の感想でも述べましたが。

Part1ではリンチ監督の作品は1984年、40年くらい前の作品なので、リンチ作品を当時見た時も迫力には驚きましたが、今回のヴィルヌーヴ作品では当然ながらCG等も相当進んでいるので、ボリューム、スピード感は格段の差がありました。

ただストーリー展開は原作のフランク・ハーバートの砂の惑星をなぞっているので、それほど両監督の違いはないものの、しかし今回のヴィルヌーヴ作品は1と2に分かれているだけに、原作をほぼ最後までやっているのでストーリーの破綻は感じられなかったのですが、リンチ作品の方はポール・アトレイデスが目覚めるところまでということで、違いがあり、そこが物足りなさを感じるので評価が高くなかったところかなと思います。

そりゃ、リンチ作品も長かったけれどラフカット版が4時間以上だったものを編集で大幅に尺を短縮して137分。一方ヴィルヌーヴはPart1が155分+Part2が166分と合計321分ですから余裕のある尺といえましょう。ただ続けてみるにはしんどいですが。
つまり2作の比較としては尺の関係で、リンチ作品は尻切れトンボ感があるだけでなく、どうしても押し込んだ感じで展開が忙しいのは否めません。ポールが念想する時、ある程度の沈黙する時間があるほうがポールの心情を推し量ることが出来ますが、リンチ作の沈黙が5秒だとしたらヴィルヌーヴ作は8秒は取れるわけですから、そっちの方が深みが増します。

しかしリンチ作品であらわれていたサンドワームなどは完成されていたものであるので、ヴィルヌーヴもデザインはそのまま踏襲(大きさやスピードはCGで迫力増ですが)しましたから、そこはリンチの想像力の手腕が上だと思います。

あと役者で言えば、主人公のポールですが、ヴィルヌーヴ作品ではティモシー・シャラメ君が演じておりますが、まあ可愛いよね。リンチ作はリンチ作品御到達のカイル・マクラクラン氏でしたから、青年前期と青年後期の差があるので、ヴィルヌーヴ作品では少々苦悩するアイドル的な描き方だったように思います。

脇役としてはなんといってもヴィルヌーヴ作のハビエル・バルデムが秀逸。しかしPart1で登場しハッと声を出してしまったのはベネ・ゲセリットの教母役のシャーロット・ランプリング。ヴェールを掛けているので、登場シーンでははっきりとは顔が見えませんでしたが、演技を始めた瞬間に彼女だとわかりましたね。
私は大学生の頃「愛の嵐」を名画座で見て、心底やられました。倒錯した性愛でもあったので、刺激も強かったのですがその美しさに当時青年の私はお手上げ。今回の映画でも登場した途端に「愛の嵐」の美貌が蘇るのです。
いやヴィルヌーヴ作品、結構な配役でした。

最後にポールと闘うハルコネン家の当主の甥フェイド=ラウサにも言及せねば。
リンチ作品ではスティングでした。この頃はポリス解散直後で「ブルー・タートルの夢」を出す前でしたから、カッコいいスティングといった感じでしたので、フェイド役もなかなか良いキャスティングだったと思うのですけれど、今回のオースティン・バトラーは凄かった。

劇中でもサイコパスと言われていましたが、ゾッとするような狂気をはらんでいる異常者ぶりが満ち満ちていて、スティングがカッコいいワルなら、バトラーは絶対に目を合わせたくない狂気ぶりでした。仮にスティングがリンチからそういう演技を求められたとしたら、レコード会社が降ろさせたでしょうね。

しかしもしかしたらサイコパスなんていうのはリンチ時代はあまり社会通念として通用していない時代だったかもしれません。もちろんリンチの映画に登場する人は今ならサイコパスと言われる人が出ているのですが。
とすると、砂の惑星の2作品40年間の違いは、受け止める我々の社会の狂気もまた進んだ40年ということにもなるのではないでしょうか。

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