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取水制限 ダムカード 坊ちゃん

私はダムに行くと事務所を訪ねてダムカードを頂くことにしています。ダムカードなるものがあることは随分知らなかったのですが、知り合いに教えてもらい、カードを頂くとともに、それまではダムを横目で見ながら素通りだったものが、わずかですがダムからの景観を楽しむ時間も持つことができるようになりました。
で、こんなニュースが目に入りました。

こちらのダムの内「石手川ダム」ってそういえばダムカードあったんじゃないかな?と探したところありました。

石手川ダム

以前義父母を連れて道後温泉に行った時、しまなみ海道で今治についた後、高速じゃなくて山道を越えて道後に行ったのです。その時今治から317号線で蒼杜川沿いをさかのぼったところに「玉川ダム」というのがあり、さらに分水嶺を越えた石手川の上流にこの「石手川ダム」がありました。結構大きなダム湖がありとても良い風景でした。

玉川ダム

そこがこのニュースだと貯水率41.2%ですか、ついでに玉川ダムも調べたところ、こちらは45.8%でした。

しばらくはこういった天気が続きそうなので、なかなか厳しいでしょう。取水制限もあるかもしれませんね。

ちょうど青空文庫に
坊つちやん「遺蹟めぐり」(岡本一平)がアップされていましたがその中に石手川に関わる箇所がありました。無断引用

「一 杉並木は石手川堤

 松下君の二階に休んで居ると愛媛新報の兵頭君といふのが来て案内乍ら道後の予の今夜の宿まで送らうといふ好意を提供された。その実ありもせぬ小説中の出来事を実地の上に実しやかに尋ねありく大だわけの漫画家といふ奴と同行して、明日の新聞の穴埋記事を作らうといふ魂胆は眼つきで知れた。けしからぬ。さり乍ら又一方名士扱ひにされて万更で無い気持ちもある予は一方迷惑のやうな一方感謝のやうな合の子な態度を示して頗る応揚に『それはどうもご苦労ですな。では兎も角も願ひましようか』と云つた。そして自分で嫌味を感じてぞく/\と悪感を催した。
 往来に打水して町の軒並に蚊柱の立つ松山の町はその基調には、たとへ、旧お城下といふ燻しがかゝつて居るとは雖いへど、決して酸性の刺戟を伴はぬ明るい四国の町の黄昏の一である事を否み能はぬ。明快を加へた洒脱の篩を漉して美しく暮れて行く。
 町を通り抜けると監獄の高い塀がある。片側は畑。行くと森の茂みに入る。夕暮の木下闇を溜り水の反射が銀針の如く貫いて眼を射る。湿ぽい深緑の葉の隧道トンネル。此処は既に石手川の堤の取り付きだ。三人は堤の上へ上る。三人の姿は僅に略筆にて沿へられた点景人物程に蔑視されて仕舞ふ程、雄大な欅の並木が続く。暗緑の威圧が浴衣の肩に重く当る。坊つちやんが山嵐と一しよに泊り込みから帰り行く赤シヤツと野だとを追ふて退治て仕舞つた杉並木といふのを推測すると、どうもこの石手川堤の欅並木より外に無い。文中には説明して『温泉の町を外れると一丁許りの杉並木があつて左右は田圃になる。それを通りこすとここかしこに藁葺があつて、畠の中を一筋に城下迄通る土手へ出る。』とあるが道後より松山へ行く土手は石手川堤が唯一にして無二だ。遺憾乍ら杉並木は無いが温泉の町より帰朝の別れを告げて帰る赤シヤツと野だとを存分になぐる場所を求めて誰しもこの欅並木を見逃すものは無からう。若し此所と決めれば赤シヤツも野だも両人の腕白の手に小付かれて嘸この欅の幹の石のやうな瘤に頭を打付けて痛がつた事ならんと痛快に思ふ。土手の両側にはところ/″\舌切雀の御宿のやうな藁葺と竹藪とがある。藁葺の庭では家族の者が竹細工を編んでる。

なるほどですね。ダムの取水制限の記事は「ダムカード」、「坊ちゃん」にまで広がりました。


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