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He is really saying “I not love you”

3月後半読んでいたのが「コーマック・マッカーシー」氏の遺作二冊というのは何度もアップしました。「通り過ぎゆく者」「ステラ・マリス」ですが、先ず一回目読み終わりました。

この本で感じること、考えることが多くありますが、正直1度読むだけでは恐らく著者の意図の爪で引っかいた程度しかわからないと思います。今年は毎月繰り返し12回は読み返す。そんな本になりました。

切り口はいくつもあります。

兄の不可解とも思えるくらいの自分自身で孤独に身を置く理由、これは「通り過ぎゆく者」の展開そのものでもあります。
この2冊には登場人物の紹介というのがついていない割には、色々な人物が出るので、自分自身で相関図、関連図をつくらないとわからないなと、読み始めてしばらくして思い当たったので、次回それを追いかけたいと思います。

精神破綻する妹アリシアと精神科医との対話(これが「ステラ・マリス」の中心)で、ギリギリの精神の内面を読んでいくことですが、これは前作ともいえる「通り過ぎゆく」でも時間をさかのぼって何度も登場したシーンでしたし、そこに出てくる〈キッド〉の意味を知りたいです。よく考えたら私の夢にもそのような存在がいつも登場し、そしていつか通り過ぎて行ったのかも。

次いで、この主人公の兄妹の父がオッペンハイマーと共に広島の原子爆弾を開発(その後水爆も)した主要な科学者であり、また母親もウラン抽出の技術者でしたから、このことの兄妹に対する影響を読み返したいというのは私が広島の人間だからでしょうか。

今日はそのことで書いておきましょう。今朝の新聞には愕然とするような言葉がのっていました。

信じがたいものですが、それはマッカーシーの2作にも繰り返し登場するオッペンハイマーの言葉。「バガバッド・ギーター」の中の言葉
「我は死なり、世界の破壊者なり」
また主人公の父が原爆の責任を問われて「科学者は作る人、政治家が責任を負う人」というようなセリフがありましたが、責任とれるのか?

人の命の重さをお手玉のように軽んじている政治家がミシガン州から選ばれていることに愕然とします。

「ステラ・マリス」はウィスコンシン州の精神病院が舞台。「通りすぎゆく者」はあちらこちらの場面がありますが、主要な場面がニューオリンズ。

今朝からテレビやラジオは番組改編で、朝の番組も変わり、ニュースワイドショーを見ない私は少々閉口していますが、NHKBSでは6時からしょっちゅうやっている駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノをやるのでしょうか、今朝はニューオリンズの2本が流れ、「通りすぎゆく」の兄がいた風景だなと出かける用意をしながら見ていました。

やはりニューオリンズは音楽の街だなと思いつつ、ルイ・アームストロングの音楽遺産に改めて感銘を受けました。
今朝は一人のピアニストが「What a Wonderful World」を弾き歌っていました。番組では歌ったのは1番と3番の歌詞でしたが、3番はあまり聞くことはありませんが、こんな歌詞です。

I hear babies cry
I watch them grow
They’ll learn much more
Than I’II ever know
And I think to myself
What a wonderful world

ウォルバーグ議員はガザの赤ちゃんが泣き叫ぶ声なんか聞こえないのでしょう。

そんな発言をするのは、オッペンハイマーや「通り過ぎゆく」の父親が遺したものに当時赤ん坊だった人(ウォルバーグ議員だけでなく、今の大人)が何も学ばなかったという結果だと思うのです。

この歌の1番と2番の歌詞にあるのは、素晴らしき世界の風景といえる
「緑の木々、咲き誇る赤い薔薇、青空、白い雲、明るい陽射し、静かな夜」
を歌われていますが、そんなものは核兵器が投下された広島・長崎のあの日にはなく、また今のガザにもないことをこの議員は想像だにできないのでしょう。
ウォルバーグ議員は、歌のサビの They’re really saying “I love you” の対極にいる He is really saying “I not love you” という人物だと思います。


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