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写真、記録、記憶、想像

土曜日の午前中は時間があったので久々に展覧会に行きました。
東京都写真美術館です。

目玉は「木村伊兵衛 写真に生きる」という没後50周年の展示です。私が木村伊兵衛を意識したのはやはり「秋田おばこ」。その後、あゝこれも木村伊兵衛の作品だったのかということに気づきましたが、今回の作品は木村氏の写真の素晴らしさだけでなく、足跡を辿ることができ素晴らしいものでした。
増補改訂版を買いましたが、氏の思いが書かれているので、しっかりと読み返したいと思いますが、先は展示会を見ての第一印象から。

木村伊兵衛はライカという小型カメラで作品を撮りますが、一番最初に自撮りの写真があり、それは鏡に映っている自分を撮った作品。見ると木村氏はファインダーなど見ず、鏡の自分を見つめています。
彼はカメラのレンズ越しでなく写す対象を自分の目で見てその瞬間、風景を切り取る写真家だとまず気がつきました。

ある時期から市井の風景を撮るのが時系列に並べられますが、戦前の沖縄の市場や民衆、おばあたちが生き生きとしているのは、モノクロなのに色鮮やに動き出す、あたかもカラーに見えるからなのです。
さらに戦後すぐからの作品を見ていると、当時の民衆の生命力、生きる逞しさが強く感じられます。ダメなのは政府と軍だけだったのだな。

その中でこの右側の写真がありました(図録から引用)。タイトルは「若い人。広島。1946」。

プリントしたものを見るとカップルの背後に見えるのは広島城の石垣で、手前は高射砲の残骸ですから、ここは旧市民球場あたり。で1946!原爆の翌年ですよ、確かに一面焼け野原ですが愛は強し。
この時期の多くの広島写真は左側のような廃墟の写真ですから、カメラマンの目の向く先が独特なのは、ファインダー越しでなく、木村氏の視野の広い裸眼、戦前の沖縄の写真に現れているような氏のそれまでの蓄積と感じます。

もちろん有名な「秋田おばこ」には美しさにため息ものですが、他の秋田の風景の今はない生活に、秋田など知らない私が懐かしさを感じるのは、日本中どこでも見られたような普通の庶民の生活の1コマだからでしょうか。

さて木村伊兵衛展はまた改めてとして、せっかくなので他の2つの展示会もみたのですが、これも凄かった。
「TOPコレクション 時間旅行」は戦前からの写真のトレンドがよくわかるなかなかのもの。

撮影可のものも多く、どこかで見たことあったのか、あるいは頭の中にあった風景「あっこれこれ」と表現されているのか。

このネオンはまさに頭の中のイメージに遭遇した感覚。また渋谷の駅前にはビックリしました。こちらは記憶にもなく、想像もしなかった風景です。

左上には「井の頭線渋谷駅」とありますから、中央はまさに渋谷の駅前交差点あたり。

さてここで驚いたのは宮沢賢治氏の「心象風景」をモチーフにした写真群「時空の旅−新生代沖積世」その中に「釜石線の列車」(島田謹介)

これ写真でですよ。ああ銀河鉄道だ。


もう一つの展示会は「記憶:リメンブランス」です。これもなかなか面白かったです。
3つの展示を見て、写真は記録、記憶の断面であり、そこから想像が広がるもの。一方自分が持っていた想像のイメージ化、いずれでもあると感じました。

昼からの予定があり、駆け足での鑑賞となったのが残念でしたが、やっぱり展示会はいいなぁと、青空を見上げて感じました。

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