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感情に残っているメモリー

表現者はさすが「あゝこういうことよ」というのを言葉にしてくれる。
この回では門脇麦氏がフィクションである役をどう自分を通して表現する意味があるのかを話していて、なるほどと思う箇所多々ありました。
私はテレビドラマでしか門脇氏を見ることはありませんが(そもそもテレビドラマもほとんど見ないので、本当は知らないのです)、どの役を見ても門脇氏を感じるのはこういうことかと納得。

その中で門脇氏がオフの時はアウトドア、という話の中で、きっかけであり今につながっていることとして

「自分が一番記憶でなく感情に残っているメモリーってぜんぶ自然の景色とか体験で、私のうれしい、ワクワク、キラキラってする瞬間って一番純度が高い感情だと私は思っていて、その純度が高い感情が初心に戻らせるし、表現を強く豊かにする」

それに対して角幡氏が
「自然に触れることで「生き物としての自分」をリフレッシュしている」


私は宇宙、世界と繋がっていると思ったきっかけは以前も書いたかもしれませんが、高校の山岳部で白山に行った時からです。

一日目は白山に登頂し、少し下の避難小屋で一泊。小屋に着くころには大雨で小屋に飛び込んだ有様。その晩は飯盒で飯を炊く時に水とガソリンを間違えるなど思い出深いこともありましたが、翌朝は雨も上がり快晴。

雨のお陰で夏の朝でしたが気温も上がらず空気がすっかりと透き通り、周りの緑は青々として素晴らしいものでした。
まだ早朝で日の出の時期でもありましたが、日の出の反対側の西側、日本海側はまだ薄暗く、徐々に明るくなる時間帯。
その時中天を見上げてビックリしました。まだ星が空には残っていますが、空の色が青ではなく、群青で宇宙の色に見えたのです(宇宙の色は見たことがないですが)。ああ、そこに宇宙があると思って目を日本海側に向けると夜明けのグラデーションがかかり、青くなる前に紫がかって見えました。もちろん日本海の何となく丸い水平線も感じられ、私は宇宙の中の一部なのだと無性に感動したことを覚えています。

これが麦氏のいう「感情に残っているメモリー」だと納得しました。
あれからもう半世紀たちますがその光景を記憶ではなく、感情から湧き上がってきて思い出すのですね。そしてなぜ思い出すのかというのは、そのタイミングで初心に戻れ、と心の奥底から呼びかけてられているからのではないかと思うのです。

私は一年に一度ご来光を拝みに山に登ります。もちろん老化しているので夏山ですが、大体2時頃から登り始め、5時頃のご来光を見ます。
真っ暗な登山道が徐々に明るくなり、日の出の1時間くらい前は寒いのですが、空を見上げて白山の時のような「自分は広大な宇宙の中の一粒、でも繋がっている」という感じを身体一杯の幸福感として味わっています。
角幡氏の指摘する「リフレッシュ」であり、生き物としての感覚でしょう。

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