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赤い矢とキノコ

「レッド・アロー」といえば西武の特急を思いうかべますが、このタイトルの本を図書館で借りました。

この本のタイトルのレッド・アローは、ローマからボローニャに向かう主人公の乗った高速特急。正式名は「フレッチャロッサ」です。
フレッチャは、サンフレッチェが3つの矢のもじりですので、直ぐに「矢」ということはわかります。もちろんロッサは「赤」ですね。これは赤ワインからピンときます。


ここに登場する物理学者(彼)との対話で感心したところがありました。

「時間の経過は意識の中で起きるというアウグスティヌスの解釈を説明する一節だ。アウグスティヌスに代わって彼は言う。
賛美歌を聴くとき、音の意味は、その前後の音で決まる…だが、私たちがつねに今この瞬間にあるのなら、どのようにその音を聴けるというのか?それが聴けるのは…私たちの意識の基盤が記憶と予測だからだ。賛美歌、つまり歌は、統一された形態にある私たちの意識のある意味での現在…したがって、これが時間の正体である。時間は、私たちの意識においては記憶として、また予測として完全に現在にある。」

モデルの物理学者とは「カルロ・ロヴェッリ」氏だそう。

この本を読んでいると、たまたま先日読んだ本も登場して、びっくり。
フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路」(澤田直)です。

「ベルナルド・ソアレスことペソアは、“大停滞”期の自分の状態を、“無限大の監房で通常の行動の自由を奪われた囚人”のそれになぞらえた。
"無限大の監房”。それは結局、本を書くことができなかった数年間だけでなく、それ以前の、幼かったころの自分まで遡る年月である。その一節をじっくり考えていたら興味が湧いてきて、『激情』のうしろについている出典を見てみると『不穏の書』からの引用だとわかった。
(中略)
ペソアがリスボンで暮らしながら、多数の名前を使い分けて本を書いていたことを知った。彼が異名者”と呼んだうちで最も重要なベルナルド・ソアレスこそ”無限大の監房"という句を口にした人だ。ペソアはその人物を”セミーヘテロニム"と呼び、『不穏の書』をソアレスの作品とみなした。ただし、ジーニスが述べているように、ことはそれほど単純ではなかった。"「厳密に言うとフェルナンド・ペソアは存在しない」。現実の人生を生きる苦労から逃れるためにペソアが創りだした人物、アルバロ・デ・カンポスはそう主張した。また、彼の散文の最も意味深長な部分をきちんと構成して出版する手間を省くために、ペソアは、存在しなかった、厳密に言うと存在できない『不穏の書』を生み出した”。」

ということはぺソアを読んで、赤い矢を読んだということは、これもまた賛美歌の「前後の音」ということだろうか。
で、この本を読んで図書館で予約したのはこの本の中で紹介されていたこちら。
「幻覚剤は役に立つのか」(マイケル・ポーラン)。

順に行くと「ペソア」が前の音、「赤い矢」がこの瞬間の音、「幻覚剤」が次に聞こえる音で、それによって音の意味が分かるのだろうか。

実は「幻覚剤療法」についても先日図書館から借りたのが、「マヤの死の儀礼」(宮西照夫)という和歌山大学名誉教授の書かれた、摩訶不思議な幻覚効果のあるキノコを使った伝説的シャーマンのマリア・サビナの教え,伝統的な呪医による病いやPTSDの治療,子どもたちの幻覚キノコの集会の本でした。ですから「レッド・アロー」の中に登場するキノコも違和感はなかったし、その幻覚剤療法で主人公が記した10ページにわたる治療報告書のステップがリアルすぎて驚いたのです。

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