ずっと母が嫌いだった 6
母の怒りは凄まじかった。電話口で怒鳴りつけられた私も「何言ってるの、お母さんもお父さんから言われていたでしょう。三重のおじさん達だって一緒に聞いていたじゃない」と、親戚の存在もほのめかしたりしながら、初めはなんとかいさめようと努めた。
しかし、次第にふつふつと怒りが込み上げてきて、それは弾けた。
気付けば「ふざけるな!」と怒鳴り、電話を切ったのだった。
そして、兄弟間のグループラインに、相続手続きをしばらく棚上げする、と発信した。
正社員としての仕事があった私は、父が病気で倒れて以降、仕事が溜まっていた。その上、国の定めた法廷研修が重なっており、それらを作業のように黙々とこなしているうちに時間が過ぎていった。
それからひと月ほどが過ぎたある日、弟から不意に電話が入った。
「姉ちゃん、もう済んだ。お袋が行政書士を雇って、全部登記が終わったよ。姉ちゃんももういいだろ。俺も妹もこの問題には迷惑しているんだよ」
私は耳を疑った。
勝手に登記が終わった?
迷惑している、ってどういうこと??
すぐに、母の代理人である行政書士に電話を掛けた。
「検認を受けた遺言書があり、私が相続執行人です。登記って、どういうことですか?」
問題は二つだ。
行政書士は、登記には関われない。越権行為である。それが出来るのは司法書士だ。
そして、遺言書の内容は、法定相続よりも優先される。
もし、行政書士が遺言書の存在を知らずに行ったのであれば、百歩も千歩も譲り、飲み込もうか、とも考えた。それで訊いた。
「遺言書があることも、それが検認を受けたものであることも、もちろん知らなかったんですよね?」
「遺言があるならなんで使わなかったんですか?!私はね、頼まれたからやってやっただけですよ。文句があるなら裁判でもしたらいいでしょう!私はもう、関係ありませんから!」
この行政書士はクズだ。確信した。
続いて妹に電話をした。すると、泣きながら訴えてきた。
「お姉ちゃん、ごめん。お姉ちゃんは悪くない。私はよく、わかっている。私もお父さんから相続の話は散々聞いていた。でもね、あのこじれた日からずっとずっと、それはもう、毎日毎日、お母さんからお姉ちゃんへの罵詈雑言を聞かされて、精神的に限界だったの。だからお母さんがいいように好きなように登記するのを、承諾するしかなかったの。
それと、多分三重も横浜も、お母さんの話を鵜呑みにして皆、お姉ちゃんが悪者だと思っているよ。今、お姉ちゃんの味方は誰もいないよ」
三重というのは母の親戚で、横浜というのは父の親戚のことだ。
親戚中に私の悪口を触れ回っているだろう、というのは推測ができた。この分では近所中にも回っているのだろう。
私の中で「母との絶縁」という気持ちが少しずつ固まっていくのを感じた。あの電話口で、母を怒鳴りつけたあのとき。実はものすごくスカッとしていた。やっと言えた。言ってやった!ずっと言いたかったんだ。
「ふざけるな!」そして続けたかった。
「ずっと、あんたが嫌いだった!」
つづく
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