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文章教室課題提出作品「訪問者」

文章講座の受講を始めました。
元公募ガイド編集長だった方のもとで。
楽しく通っています。
そうだ、と思いつき、せっかく書いた課題作品を
こちらに少しずつ出していきます。

やさしい集金人

 コロナ禍になり、新聞代の支払いをクレジットカード払いに変えた。他者との接触を減らすためだ。それまでは20年以上、玄関先での現金払いだった。集金人はずっと同じおばちゃんで、いや世間的にはもう、おばあちゃんというほうが正しい年齢かもしれない。そもそも、徴収されるわたしにしたって「若奥さん」と呼び掛けられていたのが「おかあさん」になり、いつしか「奥さん」で落ち着いた。
 読み比べや料金の安さに惹かれて他紙に変えたこともあり、集金のおばちゃんとの付き合いも途切れたこともある。それでも彼女の記憶力はさすがで、数年経ってもしっかり覚えてくれていたのだった。
「娘さんも、すっかり大きくなったでしょうね」
 そんなふうに言われ、嬉しい反面、新聞を浮気してごめんなさい、といった気持ちになりもした。
 娘がまだ、うんと小さかったころのこと。ぐずってぐずって、やっとの思いで寝かしつけたタイミングでマンションロビーのインターホンが鳴った。わたしは舌打ちしたいような気持で受話器をあげる。すると、おばちゃんだった。
「新聞の集金、お願いします」
「すみませんけどやっと子どもが寝たところなんです。またにしてください」
 返事も聞かずにガシャンと切った。とっても感じが悪かったと思う。
 ところが後日ふたたび来たおばちゃんは、いつものくしゃくしゃな笑顔を見せた。
「これね、少ししかお店に入ってこなかったんだけど、あなたにあげようと思ってとっておいたの。可愛いでしょう?」
 そう言うとA5くらいの大きさのシールを、わたしの前に差し出した。服を着たねずみたちが愛らしい。彼らの暮らしが、とても楽しそうに描かれている、有名な絵本作家の絵柄だ。
なんともきまりの悪い思いでいるわたしは、とまどいながら受け取った。
「いいんですか。少ししかないそんな貴重なもの」
「あなたのところのおチビちゃんにあげたかったの。だからいいのよ」
そしておばちゃんは、笑顔とシールとこんな言葉を残し、立ち去った。
 ――赤ちゃんが寝ちゃったときは気にしないで断っていいからね。何度でも来るから。
  
 新型コロナウイルスという、誰からも歓迎されない厄介者が異国からやってきて、人と人との交流に制限が掛けられるようになった。コロナ関連の報道は日に日に過熱していく。ある日、とうとう思い切っておばちゃんに告げた。
「新聞の支払い、クレジットカードにすることにしました」
「ああ、そうなの。こんなご時勢だものね。これまで永らくありがとうございました」
 おばちゃんの顔色が、心なしか少し疲れて見える。
「わたしもねえ、もういい年だしね。この仕事は好きで続けてきたけれど、潮時が来たって思っているの」
「コロナ禍が明けたら、集金をまたお願いしたいと思ってるんです。それまでどうか元気でいてください」
 おばちゃんはマスク越しの笑みを浮かべ、うんうんと首だけで頷く。集金を終えると、いつもよりも丁寧に頭を下げた。ゆっくりと立ち去るおばちゃんの後ろ姿を、わたしは名残惜しく見送る。小柄なおばちゃんの背が、なぜかいっそう小さく、そして円く見えた。

 新聞代はクレジットカード払いのままだ。毎月引き落とし明細しか届かないことが、なんだか淋しく物足りない。

*以下、添削後  添削箇所は太字

コロナ禍になり、新聞代の支払いをクレジットカード払いに変えた。他者との接触を減らすためだ。それまでは二十年以上、玄関先での現金払いだった。集金人はずっと同じおばちゃんで、いや世間的にはもう、おばあちゃんというほうが正しい年齢かもしれない。そもそも、徴収されるわたしにしたって「若奥さん」と呼び掛けられていたのが「おかあさん」になり、いつしか「奥さん」で落ち着いた。
 読み比べや料金の安さに惹かれて他紙に変えたこともあり、集金のおばちゃんとの付き合いも途切れたこともある。それでも彼女の記憶力はさすがで、数年経ってもしっかり覚えてくれていたのだった。
「娘さんも、すっかり大きくなったでしょうね」
 そんなふうに言われ、嬉しい反面、他紙に浮気してごめんなさい、といった気持ちになりもした。
 娘がまだ、うんと小さかったころのこと。ぐずってぐずって、やっとの思いで寝かしつけたタイミングでマンションロビーのインターホンが鳴った。わたしは舌打ちしたいような気持ちで受話器をあげる。すると、おばちゃんだった。
「新聞の集金、お願いします」
「すみませんけどやっと子どもが寝たところなんです。またにしてください」
 返事も聞かずにガシャンと切った。とっても感じが悪かったと思う。
 ところが後日ふたたび来たおばちゃんは、いつものくしゃくしゃな笑顔を見せた。
「これね、少ししかお店に入ってこなかったんだけど、あなたにあげようと思ってとっておいたの。可愛いでしょう?」
 そう言うとA5くらいの大きさのシールを、わたしの前に差し出した。服を着たねずみたちが愛らしい。彼らの暮らしが、とても楽しそうに描かれている、有名な絵本作家の絵柄だ。
なんともきまりの悪い思いでいるわたしは、とまどいながら受け取った。
「いいんですか。少ししかないそんな貴重なもの」
「あなたのところのおチビちゃんにあげたかったの。だからいいのよ」
そしておばちゃんは、笑顔とシールとこんな言葉を残し、立ち去った。
 ――赤ちゃんが寝ちゃったときは気にしないで断っていいからね。何度でも来るから。
  
 新型コロナウィルスという、誰からも歓迎されない厄介者が異国からやってきて、人と人との交流に制限が掛けられるようになった。コロナ関連の報道は日に日に過熱していく。ある日、とうとう思い切っておばちゃんに告げた。
「新聞の支払い、クレジットカードにすることにしました」
「ああ、そうなの。こんなご時勢だものね。これまで永らくありがとうございました」
 おばちゃんの顔色が、心なしか少し疲れて見える。
「わたしもねえ、もういい年だしね。この仕事は好きで続けてきたけれど、潮時だと思っているの」
「コロナ禍が明けたら、集金をまたお願いしたいと思ってるんです。それまでどうか元気でいてください」
 おばちゃんはマスク越しに笑みを浮かべ、うんうんと首だけで頷く。集金を終えると、いつもよりも丁寧に頭を下げた。ゆっくりと立ち去るおばちゃんの後ろ姿を、わたしは名残惜しく見送る。小柄なおばちゃんの背が、なぜかいっそう小さく、そして円く見えた。

 コロナは五類に引き下げられた。しかし、新聞代はクレジットカード払いのままだ。毎月引き落とし明細しか届かないことが、なんだか淋しく物足りない。

*講師 黒田先生


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