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[掌編小説]パンケーキ

 男は恋をしました。
 恋心は大きく膨れて、ついには漏れ出し、決壊しました。
 溢れた恋心は川となって、いつしか相手に届きました。

 男は恋人を好きでした。
 好きで好きで、得意のパンケーキを振舞います。

 男は恋人をテーブルに着かせると、キッチンへ向かいます。パカパカと卵を割って、ファサファサと粉を振ります。トロトロに溶けたバターを入れて、シャカシャカとボウルの中でビーターを回します。

 いい香りがしてきました。アツアツのフライパンがシュワシュワと鳴っています。お気に入りのお皿に焼き立てのパンケーキを乗せて、冷たいクリームを添えます。

 男は恋人の前に、パンケーキを運びます。
 恋人は、「おいしいおいしい」と喜びました。

 男はすぐにキッチンに戻ると、もう一枚焼き上げます。
 恋人はおかわりも「おいしいおいしい」と平らげました。

 男は何枚も何枚もおいしいパンケーキを焼きました。
 恋人は何枚も何枚も「おいしいおいしい」と食べました。

 男が、何十回目かにパンケーキを運んでくると、恋人はパンパンに膨らんで、はち切れんばかりです。
 テーブルに新しいパンケーキが置かれると、恋人は「もうけっこう」と転がるように席を立ちました。恋人は、まあるい体をドアから無理やり出すと、「苦しい苦しい」と泣いて帰ってしまいました。

 恋人を失った男は、とても悲しみました。



 男は新しい恋をしました。
 男は恋人を好きでした。

 男は恋人を家へ招くと、得意のパンケーキを振舞います。
 テーブルに着いて待つ恋人のため、一生懸命作ります。

 薄焼きに厚焼き、チョコ味にベリー味。トッピングのフルーツもよりどりみどり。
 何枚も何枚も焼き上げます。

 恋人は、「おいしいおしい」と何枚もお皿を空にします。カチャカチャパクパク、「おいしいおいしい」。何十枚のパンケーキを食べても「おいしいおいしい」。
 恋人は食べれば食べるほど、どんどんどんどん痩せていくようでした。

 恋人はそのうち「足りない足りない」と怒り出しました。
 男はせっせっせっせとパンケーキを作りました。
 しかしもう材料がありません。

 「もうおしまいなんだ」男がそういうと、恋人は勢いよく立ちあがって、椅子がガタンと倒れました。
 枯れ木のような腕で掴みかかってきた恋人を、男は何とかドアから出しました。
 恋人はドアの前でしばらく怒りをまき散らした後、足を踏み鳴らして帰っていきました。

 恋人を失った男は、とても疲れていました。




 ある日、男は素敵な女に会いました。
 しかし、声をかけるをためらっていました。

 季節が何度か巡って、女が男に想いを伝えました。
 男は戸惑いながら恋人になりました。

 男は、得意のパンケーキを振舞います。

 女は「では」と言って、一緒にキッチンに立って、紅茶を用意します。
 お湯を沸かして、ポットとカップを温めて、「茶葉はあなたと私とポットの分」と3匙茶葉をすくいます。女の持ってきてくれた茶葉は心地のいい香りがしました。

 焼きあがったパンケーキと淹れたての紅茶。
 ダイニングはホカホカのひだまり。

 男と女は、二人でテーブルを囲んで話をしました。

 パンケーキを一口、紅茶を一口。
 口の中で一つに溶けあいます。

 男は、とても幸せでした。


おわり

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