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[掌編小説]銀の指ぬき

 マイアはおばあさんとふたり、田舎で暮らす女の子です。
 おとうさんは戦争で遠くの国に行ったきり帰ってきません。
 おかあさんはマイアが小さい時に病気で亡くなってしまいました。

 マイアは、それでも元気に暮らします。大好きなおばあさんが一緒でしたし、右手の親指には、おかあさんがはめていた銀製の指ぬきをいつでもはめていましたから。
 少しくらい辛いことがあっても、指ぬきを太陽にあてて輝かせると、心が温かくなりました。それでマイアは、いつでも笑顔でいられました。

 そんなマイアでしたが、近所のルカには時々本当にまいってしまいます。ルカは、マイアを見付けるたびに、いらないちょっかいをかけてくるからです。
 そのしつこさは、自分の友達を待たせてまで、マイアのところに駆け寄ってくるほどです。

 マイアは、ルカの姿を見るたび、右手を握りこんだり、ポケットに突っ込んだりして指ぬきを隠しました。
 ブスと言われても構いません。貧乏と罵られても気にしません。髪を引っ張られても我慢できます。
 でも、おかあさんの指ぬきだけは、バカにされたくもないし、ましてや奪われたらと思うと恐ろしくてなりません。マイアの家は、大きなルカの家の世話になっていたので、もし奪われても取り返せないかもしれませんから。



 マイアが、銀の指ぬきを中指にはめられるほど大きくなった頃、マイアはうっかり一人でルカの取巻きのそばを通ってしまいました。ルカの姿がなかったので、気付くのが遅れました。
 しまったと思ったときには遅く、ポケットに突っ込んだ右手を掴まれ、あっという間に指ぬきを取られてしまいました。
 「返して! 返して!」
マイアが必死に頼んでも、怒っても、脅しても、返してくれません。
 一人が笑いながら指ぬきを投げ捨てようとした時、
「やめろ!」
とルカが息を上げて言いました。
 「かせ」
と言ってルカは指ぬきを奪い取ると、乱暴にマイアに返してくれたのです。
 「へまをするな」
マイアにそれだけいうと、取巻き達の尻を蹴り上げながら行ってしまいました。

 マイアは、ほっとしてその場にへたり込んで、今起きたことを考えています。
 銀の指ぬきに、夕日が赤く反射して光っていました。



 それから、ルカはマイアをみても駆け寄ってこなくなりました。ただ手を上げるか、にやっと笑うかして行ってしまいます。

 マイアは、落ち着かない気持ちがするのをどうしても理解できません。
 モヤモヤする気持ちを切り離したくて、長い髪をばっさりと切ってみましたが、効果はありませんでした。

 短くなった髪で外に出ると、ルカに会いました。ルカは、
「切ったんだな」
と言って手を三回振って、笑って行ってしまいました。



 ある日、急な嵐の気配がありました。マイアは庭の畑仕事に追われました。
 最後にアカンサスの花の世話を終えると、後ろにルカが立っていました。
 驚いて家の中に逃げようとすると、ルカは落ち着いた声でマイアの名前をを呼びました。
「マイア、今日は逃げないでくれ。もう追いかけないから」
マイアは固まって動けなくなりました。
「俺も戦争へ行くことになった。明日発つ」
マイアは頭まで固まって話せません。
「だから今日はどうしても会いたかったんだ。今までごめん」
そう言ってルカはマイアの手を取りました。
 そして何か言おうとして、やっぱり口を閉じて、マイアの手を離しました。

 マイアは、右手のぬくもりが風にさらされて冷めていくのを感じて、両手を重ねました。すると、いつもの感触がないことに気付きました。
 ない。指ぬきがない。
 マイアが小さな声で言います。
「盗った?」
マイアが声を絞ります。
「盗った!」
マイアが震える声で言います。
「何よ、改心したふりして、やっぱり意地悪するのね」
ルカは訳が分からないというように首を振ります。
 マイアが叫びます。
「指ぬきがないわ。さっきまではめていたのに。そう、急に嵐が来るものだから、私、指ぬきをはめたまま庭を片付けていたのよ。でも、ずっと指にあったわ。さっきまであったわ!」
 ルカは悲しそうに言います。
「俺が盗ったって思うのか」
「あなたが盗ったのよ」
「ごめん。そんな風に思われても仕方がないことをしてきた。でも、それは、どう接したらいいかわからなかったんだ。本当にごめん」
「あなたが、盗った」
「ごめん。本当に知らないんだ。ごめん。一緒に探すから、泣かないで」
 マイアは泣いていました。雨と風に煽られてぐしゃぐしゃに泣きました。

 ルカは、マイアのおばあさんに止められるまで、庭中を探してくれました。
 マイアは、ルカを信じていいのか悪いのかわかりませんでした。
 そして、信じたいのか、疑いたいのかもわからなくなりました。

 ルカが帰ると、マイアは蠟燭の明かりに右手の中指をかざしました。そこには、くっきりと指ぬきの跡が残っていました。
「おかあさん、おとうさん元気が出ません」


 あくる朝は、嵐に洗われたいいお天気でした。
 ルカはもう発ったでしょうか。マイアはのろのろと起きだして、庭へ出ました。
 アカンサスの花が、ぐんと伸びて空を差しています。

 空は青く輝いています。

 マイアは、心を決めないまま走り出しました。
 ぬかるんだ道に足を取られながら、それでも走りました。
 街道の入り口まで、走れるだけ走りました。

 そこには、すでにルカ達の姿はなく、見送りの人々もそれぞれ帰るところでした。

 マイアはこれまで出したことのないような大きな声で叫びました。
「ルカ、絶対絶対、帰ってきてね! 手柄なんていらないから、無事で帰ってきてね! とにかく帰ってきてね!」

 とぼとぼと帰る帰り道。どんなに遅く歩いても、いつかはたどり着く帰り道。
 太陽がてっぺんにくるころ家の庭に着くと、マイアは、アカンサスの花が一つ光っていのに気が付きました。
 不思議に思って近づくと、アカンサスの花の房に銀の指ぬきがかかっています。

 マイアは震える手で、指ぬきを手に取ると、泣き崩れて、
 「ごめんなさい。ルカ。疑ってごめんなさい。ごめんさない」
と何度も何度もルカに謝りました。



 何年か過ぎて、マイアはおばあさんのお葬式を出すと、一人で暮らしました。
 寂しい日もありますが、銀の指ぬきに太陽の光をあてて輝かせると、励まされました。

 それに、もうすぐルカが帰ってくるかもしれません。
 今会ったら、
「髪が伸びたね」
と言って笑ってくれるかもしれません。

 マイアは、今日もアカンサスの花の世話をします。
 そして、振り返ると、ルカが立っているんじゃないかと思うのでした。



おわり

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