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恋愛における、言葉と行動、ホンネと建前。

言葉でだったら、何とだって言える。

愛情表現に、言葉は大切なのだろうか。


 言葉というのは、愛情表現にとってとても大切なものだ。そう思っていた、というのが正しいのかもしれない。


 朝のおはようや、帰ってきた時のおかえり。寂しいという感情や、好きだという想い。言葉で伝えることは大切だと思うし、そうすることで相手の気持ちや気遣いを感じられることだってある。

 ただ、言葉には落とし穴があり、それ相応の危険性がある。
 言葉で伝えることは簡単だし、言葉にすることで安っぽく感じられてしまうこともあるからだ。結局言葉は、言葉でしかないんだと思う。


言葉は全て、建前なのかもしれない。


 本音と建前は、対義語として扱われている。「本音」という言葉には”音”という文字が含まれているのが面白い。この熟語は、本当の音、転じて本心から出た言葉のことを指すのだそうだ。


 ただ、”本音”というのを、きっと我々人類は知らない。
 言葉を受け取る者には、それが本音なのか建前なのかを判断する術がないからだ。言葉は、頭の中のたくさんの思考を紡いで、外に出される結果でしかない。そういう意味で言葉というのは、全て”建前”なのではないかとも、思ってしまうのだ。

 だから、言葉から本心を受け取ることは、極端に表現すれば”不可能”なのではないかと思ってしまう。では、本心を受け取るにはどうすればいいのか。


 結局のところ、行動を”表現”として受け取るしかないのではないかと思う。


行動からは、何が分かるだろうか。


 私は今まで、行動を愛情表現として捉えていなかった。否、捉えていなかったわけではなく、意識して受け取っていなかった、というのが正しいかもしれない。

 しかし最近、言葉と同様に、行動も表現なのだと強く考えるようになった。ただこれは、「誕生日のプレゼントで愛情を計れ!」「花火大会に誘ってこない男には見切りを付けろ!」「部屋に出た虫に怯える男は何をやってもダメ」ということを言いたいわけではない。


 日常のちょっとした所作、例えば仕事の合間を縫ってご飯に行く時間を作ってくれたりとか、今度行くデートの計画を立ててくれたりとか、ちょっと重い荷物を持ってくれたりとか、本当に大それたことでなくていい。

 もちろん、何かをしてくれるというだけでなく、「会う時にどんな服を着てくるのか、どれだけ笑顔を見せてくれるか、どれだけ一緒の時間を楽しんでくれているか」という行動も大切だ。その一つ一つが、きっと本人にとっての表現になっていると思うからだ。


 だから、言葉を盲信するのではなく、一挙手一投足を大切に受け取らなくては、いけないのだと思う。


言葉と行動、どっちも大切。


 コミュ力という言葉が、ここ10年くらいよく使われるようになっている。その人が発する言葉がどれだけ面白いか、どれだけ空気を読めているか、どれだけ気遣いに溢れているか、そんな風にコミュニケーションというものが測られるようになった。

 それ故に、何を喋るのか、どんなことを言葉にするのかは、とても重要視される時代だ。ただそれと同様に、行動も多くの感情や想いを表現する。
 だからこそ、行動もコミュニケーションの一つだということを忘れてはならないのだと思う。


 行動とはやはり、その人の本心が強く現れるものだ、と思うからだ。


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