ヤクザのせいで結婚できない! ep.89

  危うくこぼれかけた声をあたしはなんとか飲み込んだ。
 あのバチッという音は覚えがある。ものすごく近くで聞いた、というか食らった。
 あれは――スタンガンだ。
 でも、何で? 
 どうしてレオがサンドラにスタンガンなんか?
 いったい何が起こってるんだろう。少なくとも、とんでもなくヤバいことであるのは確かだ。
 心臓がドクドク波打って、嫌な汗がにじむ。
 助けに行かないと。 
 でも、あたしじゃとてもレオにはかなわない。
 武器になるものはないか見回したとき、不意にドアの向こうで着信音が流れた。
 どうやらレオにかかってきたらしい。

「どうした。……ああ? まだ手間取ってやがるのか。さんざん痛めつけただろうが。……すぐに行くから、代わりにこっちへ誰かよこしてサンドラを運べ」

 電話を切ったレオが舌打ちして部屋を出ていく。足音が聞こえなくなるまで待って、あたしはホッと息をついた。それから、すぐに油断してる場合じゃないことに気が付く。

「あいつ、代わりに手下が来るって言ってた……サンドラ!」

 こわばった体を何とか動かして、もどかしくドアを開けて飛び出す。
 サンドラは入口の近くに倒れていた。
 あたしはぐったりしたサンドラを引きずり起こすと、がくがく揺さぶった。

「ねえ! ちょっと、しっかり! 起きてってば!」

 頬を思いっきり何発か叩くと、きれいな眉がぎゅっとしかめられる。

「……ったい! なに……するのよ、やめて」

 緑の瞳が何度か瞬いて、ぼんやりと焦点を結ぶ。

「気が付いた? 大丈夫?」
「最悪……」

 サンドラは息を吐いた。何とか手をついて起き上がろうとするけど、うまく力が入らないようだ。

「レオは……?」
「電話がかかってきたみたいで、出て行っちゃったんだよ。でも、すぐにあいつの手下が来る! あんたをどこかに連れて行くつもりみたい」

 サンドラは髪をかき上げると、もう一度「最悪」と呟いた。

「ねえ、何なのこれ? あんた、レオは自分に絶対服従とか言ってたのに」
「暗殺よ」

 サンドラがあんまりさらりと言ったので、あたしはうっかり頷きかけた。

「ああ、暗殺……は!? 暗殺っ!?」
「そう。いつか仕掛けてくるかも、とは思ってたけど」
「思ってたけど、じゃないよ! 何で暗殺されそうになってんの、あんた!?」
「言ったでしょ。私はパパのお気に入り。レオにとっては邪魔なの。……ここはパパの目も届かないし、チャンスだと思ったんじゃない」
「そんなのとなんでわざわざ一緒に日本に来ちゃったのよ」

 サンドラはあたしを睨んだ。
 言わなくても分かる。「それしか日本に来られるチャンスがなかったら」だ。

「……とにかく、逃げないと。あいつの手下が来る前に……」

 その時、バタバタと足音が近づいてくるのが聞こえた。サンドラの顔がさっとこわばる。
 立ち上がろうと指がカーペットをかいたけど、明らかに力がなかった。
 どうしよう。どうしたらいい?
 焦って部屋中を見回したあたしの目に、オシャレな置時計が飛び込んできた。割と大きくて、両手で抱えないといけないくらいだ。 

「……サンドラ、ここにいて」

 あたしは立ち上がった。ドクドクなる心臓を押さえながら、置時計を掴んでドアの脇に体を寄せる。
 こちらを見上げるサンドラの目に理解の光が浮かんだ時、ドアが押し開けられた。
 黒服の男が二人、無遠慮に踏み込んでくる。サンドラが身を起こしているのを見ると、何やイタリア語でまくし立てながら近寄り、かがみこむ。
 今しかない。
 あたしは覚悟を決めて、持ち上げていた置時計を思いっきり黒服の後頭部めがけて振り下ろした。
 重い手ごたえと共に黒服が前のめりに倒れる。もう一人がハッとあたしを振り返るのがスローモーションで見えた。こちらを振り返りながら、手が懐へと伸びる。
 ヤバい、間に合わない――ヒヤリと胸が冷えた瞬間、もう一人の黒服がバランスを崩した。サンドラが手を伸ばして、黒服の足を払ったのだ。
 慌てて体勢を整えた黒服が顔を上げた瞬間、フルスイングした置時計がその顔面にクリーンヒットした。
 パッ、と鼻血を吹きながら、黒服は先に倒れていた仲間の上に折り重なった。
 黒服が動かないのを確認してから、あたしは止めていた息を吐きだした。どっ、と全身から汗が噴き出す。
 やった。何とかやってやった。
 ……やりすぎてないだろうか。

「い……生きてるよね?」
「どっちでもいいわよ」
「よくないよ!」

 つんつん、とつつくとうめき声が返ってきた。

「よ、よかった。生きてるみたい……でもこのままじゃヤバいよ。サンドラ、逃げなきゃ……」
「ダメ」
「えっ」
「ジーノが捕まってる。……たぶん、アケトラも」

 あたしは思わず振り返った。サンドラがふらふらと身を起こす。

「さっきこいつらが言ってたの。『愛人たちがお前を待ってるぞ』って」

 ぞくっ、と身が冷えた。

「ジーノはファミリーにいた時だって居ていないような扱いだった。荒っぽいことになんて関わらなかったから、戦う技術なんて何もない……ごく普通の人間なのよ」

 レオの言葉がよみがえる。

『まだ手間取ってるのか、さんざん痛めつけただろうが』

 あれは朱虎のことだったんだ。
 根拠なんて何もない。だけど間違いない。
 朱虎が捕まってる。それも、酷い目に遭わされて。
 あたしはサンドラに詰め寄った。

「どこ!? どこに捕まってるのっ!?」
「そんなの分からないわよ!」
「どこか心当たりくらい無いの!? あんたの船でしょ!?」

 サンドラは顔をしかめた。言い返してくるかと思ったのに、そのままうつむいてしまう。
 沈黙が続いて、あたしは不安になってサンドラを覗き込んだ。

「ちょっ……ねえ、大丈夫? もしかしてまだ気分が……」

 あたしの言葉を遮るように勢いよくサンドラが顔を上げた。

「そいつらを縛って」
「へ?」

 思わずきょとんとしたあたしに、サンドラは倒れている黒服たちを顎でしゃくって見せた。

「そこに転がってる裏切り者どもよ。目が覚める前に縛ってバスルームにでも突っ込んで。それで、待つの」
「待つ……?」
「こいつらが私を連れて戻らなければ、レオはもう一度ここにやってくる。それを待つのよ」

 あたしはぽかんとした。

「は? な、なに言ってんの? そんなの待ってたら捕まるじゃない!」
「その前に、あいつからどこにジーノを捕まえているのか聞き出してやるわ。……あなたはそれを隠れて聞いていて」

 サンドラの指がまっすぐにあたしを指さした。

「そして、あなたがジーノを助けるの」

 何を言われているのか理解するのに、少し時間がかかった。

「……は!? あ、あたしが!?」
「そうよ。レオはあなたがこの船にいることは知らない。だから、あなたしかいない」

 サンドラは倒れている黒服たちにちらりと一瞥を投げた。

「出来るでしょ? ジャパニーズ・ヤクザの娘なんだから」
「なっ……」

 あたしは唇をかんだ。
 正直、まったく出来る気がしない。ミッション・インポッシブルにもほどがある。
 でも。

「……たぶん、アケトラもジーノと一緒のところにいるわ」

 サンドラが挑戦的なまなざしをあたしに向けた。あたしもサンドラを睨み返す。
 上等だ、やってやる。

「……その案、乗った!」

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