ピース又吉「火花」・・・「芸」を巡る思弁小説かつビルドゥングスロマン

皆様、今年読んだ本のベスト3はなんですか? 「火花」は読みましたか? 「芸人が書いた本」として興味本位で読み始めると、意外と難しいことにびっくりされるはず。芸事の世界は小説にするのが難しく、なかなかこういう本はありません。私は「文学界」の増刷で読んで面白かったのでFBに載せました。過去のFBの投稿ですが、読んでくだされば幸いです。

■ピース又吉「火花」・・・「芸」を巡る思弁小説かつビルドゥングスロマン

ピース又吉の小説「火花」を読んでみた。「文学界」の増刷をなんとかゲットしたのである。来月、単行本で出るらしい。とても面白かった。

 この小説は、「漫才」という芸に取り付かれた男の曲折と末路を描きながら、「漫才」とは何かを綿々と考えている。そもそもテーマが「お笑い」だと本物でなくてつまらないものだが、この小説は漫才師本人が会話からネタの中味まで描いているから間違いなく面白い。そして、「漫才」を通して「才能の輝きと永遠の挫折」とでもいうものを描いた。又吉は自分しか書けない独自の小説を書いたと思う。

 話は駆け出しの漫才師の「徳永」が、才気あふれる先輩「神谷」に出会う所から始まる。「徳永」はもちろん又吉の分身で、彼の姿が投影されている。「神谷」はおそらく彼が考える理想の芸人であり、又吉の頭の中の自問自答の相手なのであろう。その神谷を血肉化することがこの小説を書くということだったのだろう。

「徳永」は、漫才と漫才師に関しての鋭い洞察を披歴する「神谷」に惚れ、彼の伝記を書くことを承諾し、「弟子」となる。「神谷」は常に新しい「笑い」を考え、面白いことを一から捻りだそうとする。彼の説によればとにかく「新しさ」が大事で、創造である以上、必ず人と違うことをしなければならない。かと言って、「非凡」さだけをアピールすることも認めない。「技術」だけで唸らせようとすることも認めない。「バランス」だけも良しとしない。彼はさらに言う。「漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒すもんやねん。」「自分が漫才師であることを気づかずに生まれてきて大人しく良質な野菜を売っている人間がいて、これがまず本物のボケやねん。それに全部気づいている人間が一人で舞台に上がって、なに野菜売っとんねん。っていうのが本物のツッコミやねん。」ここには意識(作為)と意識を超えた自然体(無作為)という、「お笑い」の永遠のテーマがあるような気がする。中国の故事で、弓の名人が修行の果てに極意を習得した後、弓の存在を忘れてしまったという話を思い出す。すなわち神谷は、漫才の面白さの基準やパターンに当てはまらないものを常に生み出し、かつどんどん無作為に近づいていくことが漫才であるというような、矛盾を孕んだ考えを抱いているようである。そしてその過程を妥協無く迅速に通りぬけようとする苛烈な人生が神谷の生き方だ。

 しかし、ここでもう一つの漫才の宿命である「観客」の問題がある。芸事は「売れてなんぼ」なのであり、それを妥協と呼ぶのかどうか。神谷は観客をないがしろにしているわけではないが、誇りある屹立を貫こうと思っているようである。才能の過剰は神谷自身の言うように誤謬であるとしても、審判を観客に委ねなければいけない苦悶を神谷は進んで耐えようとしていたであろうか。現実の「ピース又吉」は詳細すぎる見識、オタク的な感性、ひねくれた外見などの過剰を相方の綾部の「一般的な視線」で諌められ中和されることで、「作為の無作為」を成立させているように思える。

 さて、物語はというと、売れない下積み芸人先輩後輩の哀話として進んでいく。徳永はなんとか食いつないで行きながら、小劇場やイベントなどから声がかかるようになるものの、鳴かず飛ばずである。神谷は拠点を大阪から東京に移し、真樹というキャバクラ嬢と同棲するが、観客を恫喝するような奇抜なスタイルを止めない。この二人の停滞をよそに後輩たちは売れて行く。その中で「鹿谷」という全く芸のない芸人もいた。彼は「神谷理論」を低いレベルで具現化しているような無作為の芸人で、彼がブレイクするのを彼らは複雑な心境で眺めたりもする。そのうち若い二人にも人生は追いつき、追い越し、警鐘を鳴らすようになる。「潮時」というものがやって来たのだ。徳永は相方が生活の為引退することを告げられ、自身も引退を決意する。

 それから1年、神谷は行方を眩ましていた。借金が嵩み、追っ手から逃げ回っていたのだ。久しぶりに会った神谷は、相変わらずであったが、徳永を「笑わせる」ためにある衝撃的な事をしていた。徳永は唖然とした。それは自分の身体を賭けた挑戦であるが、同時に「愚直なまでの屈折」であった。「何年も忘れていた絶望という感情が両手を広げて」やって来た。その「取り返しのつかなさ」を神谷に突きつけた時、神谷はうろたえる。「すまん。もう何年も徳永以外の人に面白いって言われてないねん。」ここに至って、「観客」の問題が神谷に復讐をするのである。神谷の最良の観客は徳永だった。そして徳永だけだったのだ。もしかしたら徳永こそが、彼の才能の一人立ちを疎外し、自我を肥大化させてしまったのではないか。しかし、彼らの最後の地となるかもしれない出会いの場所熱海で、温泉につかりながら神谷は相変わらず叫ぶのである。「おい、とんでもない漫才を思いついたぞ!」

 この小説は、漫才というものを考察し、その世界を描いているようでそれにとどまらない。「修行時代」の青春小説の一面をもちながら、「芸事」の本質を思弁しようともしている。又吉の筆力を堪能した。次作ももちろん、期待できる。

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石川 宏

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