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女子校奇譚 「ピアノの鍵盤」

 中学校入学から高校を卒業するまでの6年間を過ごした女子校で、先輩や友人、先生から聞いた話と、私が在籍中に体験した話を纏めてみる事にした。

 女子校で起こる不思議は男女共学の学校で起きる不思議と少し違うようで、そこはやはり「女子校」という独特の環境の元でしか起きない不思議があるのかもしれない。

 私が通っていたのは創立が明治時代という県内でもかなり歴史のある女子校で、まだ古い校舎や体育館も使用されていた。古いと言っても戦後に建てられた木造の校舎や体育館だが、戦時中の空襲で焼け野原になった学校の敷地に、終戦後、当時の女生徒達や先生方が建設屋さんや大工さん達に混ざって作業を手伝って再建させたという歴史のある建物だったので、私達後輩は大事に使用していた。

 鉄筋コンクリートで造られた新校舎の一室には、当時の女生徒が戦火の中から命懸けで運び出したという古い黒板や短いチョーク、短くなってとても握れない鉛筆や、小さな小さな消しゴム、余白が無くなるまでびっしりと書き込まれた古いノートや色が変わってボロボロになった教科書、校章が刺繍された防空頭巾や手拭い等、学校の歴史的に貴重な品々がガラスケースやガラスの棚に入れられて大事に保管され、創立記念日や入試の為の学校案内の折に公開されていた。

 その仲の保管品のひとつにピアノの鍵盤があった。ピアノ本体は無く鍵盤だけである。

その鍵盤は、

「ピアノ本体は重くて持ち出せないから、全部焼けてしまう前に、せめて思い出に鍵盤だけでも残しておきたい」

と、当時の音楽部の生徒が何人かでピアノの前蓋を押し上げて鍵盤を外し、楽譜と一緒に持ち出したものだという。その鍵盤はガラス棚に綺麗に並べられて、一緒に持ち出された楽譜と共に大事に保管されていた。

 不思議な事に、毎年、学校が空襲で焼け落ちた日と同じ月日の夕方には、展示室からピアノ曲が聴こえて来た。

展示室にピアノは無い。あるのは綺麗に並べて保管されている鍵盤だけである。普通に考えれば鍵盤だけで音が鳴るはずがなく、しかも展示室は普段は鍵が掛けられていて特定の日にしか入る事ができないし、その鍵も事務所の金庫に保管されていて生徒は持ち出せない。日光による紫外線は品物の変色や劣化を招く事から展示室に窓は無かったので、誰かが窓から部屋に忍び込んでピアノ曲を流しているとも考えられなかった。多くの生徒達は同じ校舎内の3階にある音楽室で弾いているピアノ曲が建物の構造上何らかの理由で展示室から聞こえるような感じになるのだろうと思っていた。

 それでも中にはその事に興味や疑問を持つ生徒達もいて、展示室の管理を任されている年配の女教師にピアノの音や鍵盤について尋ねると、その先生は何度も頷きながら次のように語ってくださったそうだ。

「確かに、展示室からピアノの音が聴こえる日がありますよ。よく聴くとわかると思うけど、3階の音楽室に置いてあるピアノの音とは違うでしょう? あの音は空襲で燃えてしまったピアノの音と同じに聴こえるのよ。あれは鍵盤に残っている記憶なのかもしれない。ほら、物にも魂が宿るって言うでしょう? だから、あのピアノの音は鍵盤の記憶かもしれないし、それに・・・」

先生はそこで目に涙をにじませて、絞り出すようにこうも語ってくださった。

「鍵盤だけではないのよ。あの音は、戦争や病気で死んでしまった級友達や先輩の霊が、毎年、空襲でピアノが燃えてしまった日と同じ日にピアノを弾きに来ているんだと思うのよ。ほら、聴こえてくる曲はドイツの作曲家が作った曲ばかりでしょう? 

戦時中は日本の同盟国だったドイツやイタリアの曲しか弾いたり歌ったり出来なっかたからなのよ。戦争が激しくなるとピアノを弾くのも難しくなってね。ピアノなんて贅沢品はいらないから壊せと、何度も軍の方に叱られたけれど、当時の生徒、貴方達の先輩方や先生方、校長先生が『日本が戦争に勝つまでは絶対にピアノは弾きませんし、人目に触れない場所にしまっておくので保管だけは許してください』と、その度に泣きながら頭を下げて、時には土下座してまで守ったピアノなの。

結局、終戦の前に空襲でピアノが燃えてしまったし、級友達や先輩方も何人も亡くなってしまって弾く事は出来なかったから、亡くなった方々が鍵盤に触っているんだと思うのよ。戦争が終わったら、思いきりピアノを弾いて、思いきり大きな声で歌いましょうと、いつも話していたけれどそれが叶わなかったから・・・。

だから展示室からピアノ曲が聴こえてきたら、戦時中に亡くなった貴方達の先輩方に心の中で合掌して、貴方達に現在ある自由な環境に感謝しながら、一日一日を大切に生きてください」

 鍵盤の話をしてくださった先生はこの学校の卒業生で、毎年空襲で学校が焼けた日と同じ日、それに終戦記念日は必ず展示室に白い百合の花を飾って亡くなった方々の御冥福を祈っていたそうだが、先生が定年を迎えて学校を去られてからは展示室に白い百合の花を飾るのは生徒会の役目になったのだと、当時の生徒会役員だった先輩に教えてもらった。展示室に飾られる白百合の花言葉は「純潔」と「威厳」。香り高く、スッキリとして美しい純白の花は「乙女の気高さ」の象徴として大事な行事や式典の折にはいつも校内に飾られていた。

 私が卒業するまで、空襲の日と同じ日の夕方、放課後で残っている生徒も少ない静かな校舎の展示室からピアノ曲が聴こえていたが、10年程前にそれまで展示室のあった校舎が取り壊されて近代的な校舎に建て替えられたと聞いたので、現在の展示室の場所や、今でもその鍵盤が曲を奏でるかはわからない。

 先週の木曜日が終戦記念日だった事もあり、「女子校奇譚録」の最初の一話目にこの話を選んで綴った。








 





 


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