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日本人は議論が苦手なのか

先日、湖南市の国際化フォーラムに参加した。湖南市は滋賀県の自治体の中で外国人率がもっとも高いこともあり、毎年、こうしたフォーラムを開いて「多文化共生」について市民参加で考える機会をつくっている。

フォーラムの進行をした先生から「多文化共生」について様々な意見があると紹介があった。例えば、教育。外国人の子どもたちは比較的学力が低いそうだ。そもそも言葉がわからないし、日本的な詰め込み型の学びのスタイルが合わないのも理由らしい。

日本に来たのだから日本式に合わせるべきだという考えはもっともなのだが、多文化共生という文脈で、日本に来た外国人の文化も尊重するならば、教育も多様であるべきなのではないかと。

日本式の教育を受けた日本人よりも、外国人の方が議論が得意なのはそういった教育の違いがあるので、学力だけで教育の良し悪しを評価するのがよいのだろうかという哲学チックな問いがあった。

日本人は議論が苦手、というのは大学生(国際関係学部)のときからよく聞いていたし、ぼくもかなり苦手。学部生の中にたまに外国人と議論してる日本人もいたけど、だいたい帰国子女だったり。

いかに自分とは異質なもの、異文化に触れてそれを理解しようとしてきたかが議論ができる人になるかに影響しているんじゃないかと思う。

18歳までほとんど異文化に触れてこなかったぼくは、19歳になってようやく異文化に触れて、それを理解して受け入れようとした。相手を理解しようとしないと議論は始まらない。同じテーブルを囲めない。

国際フォーラムでは、80歳の日本人おじいちゃんも、10代のブラジル人も一緒にテーブルを囲んでお互いの想いを話した。議論のもっと手前のところ。まだまだ議論ができるような間柄じゃない。

もし、この理解するフェーズを飛ばしたら、議論じゃなくてケンカになっちゃうんだと思う。

これから外国人がたくさん日本に来て働いてくれて日本を支えてくれる。そんな彼らの文化を受け入れる準備が僕らはできているだろうか。

あれ、そもそも議論ってなんだ? ってなってきたのでここまで。

Photo by Antenna on Unsplash

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