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コレマデ×ト×コレカラ

どうもすずしゅんです🙌
初めての投稿をしてからもう1週間経つんですね・・・。
こういう情報発信系って、継続するのが本当に難しいですよね。
『忙しい』を理由にしたくはありませんが、あえて言わせてください。
忙しいわコノ。

だんだんと暖かくなってきて、
桜も見頃を迎えるころではないでしょうか。
一方で僕の花粉症もよく頑張ってくれているおかげで
鼻が大洪水。本当に助けてくれ。

前置きが長くなりましたが、
前回の投稿で触れられなかったすずしゅんのこれまでとこれからについて
お話しますね。
題名はあえてカタカナにしましたが、わかってくれる人はいるのでしょうか・・・。


すずしゅんのこれまで

ちびっ子時代

前回の投稿でも書いたように、僕は栃木生まれ栃木育ちです。
保育園児のころはとにかくやんちゃでしたね。
大好きなドラゴンボールに影響されすぎて、
毎日のように超サイヤ人になる練習やかめはめ波の練習をしていました。
仮面ライダーも大好きで、誕生日プレゼントは決まってライダーベルト。

そんなすずしゅんジュニアのおうちはとにかく厳しいです。
妹を泣かせては怒られ、弟のおもちゃを取り上げては怒られましたね
(お前が悪い)。
毎日のように父親に怒られ、毎日のように泣いていました。
今の世の中でやったら一発アウトなこともたくさんされましたね笑
でもそのおかげで、心は鍛えられたと思います。

小学生時代

とにかく学校が大嫌いで、ズル休みをしては担任の先生がおうちまで来てくれたりもしました笑
(校長先生が来たこともあったかな)
でも今振り返ると学校が嫌いだったというよりは、
おうちが大好きだったのかもしれません。
目玉焼きを3つ食べたいと言えば、ばあちゃんが嬉しそうにして作ってくれたり
お菓子を買ってと言えば、ちょっと嫌な顔をするけど結局買ってくれるお母さん。
きっとおうちが大好きすぎたんだろうな。

勉強は大嫌いだったけど、兄の影響で始めたバスケットボール。
こんなにも夢中になるものを与えてくれたのは本当に感謝している。が、
練習終わり、迎えの車の中ではいっつも父親からの説教。
『あそこはパスだろ!』『視野を広くしなさい』
コーチに怒られるよりも嫌な時間だったな。
でもそんな父親もただの鬼ではなかったみたい。
勝ってっも負けても最後の試合。すごく記憶に残っている試合。
試合終盤、コーチよりもすごい勢いで怒鳴ってくるおじさんがいるなあと思ったら、父親でした。
『最後まで諦めるな!』『いいぞナイスディフェンス!』
試合は結局ぼろ負けでした。試合が終わって泣き崩れてしまった自分の所に父親が今まで以上にない優しい声で『お疲れ様』。
ちょっと嬉しかったなあ。
なんて思い出に耽ると今回もなかなか終わらなくなるので次にいこう。

中学生時代

通っていた中学校に男子バスケ部がなかったので、陸上部に入部。
バスケはとにかく自主練習と週に1回の社会人バスケに混ざっていました。

ちょっと目立ちたがりだった自分は生徒会副会長選挙に立候補。
そしてまさかの当選。生徒会での活動が思ったよりも楽しくて、3年生のころには会長選挙に立候補。からの当選。
生徒会での活動は本当にいろいろなことを学ぶことができた。
卒業式での答辞を読み終えた後にもらった拍手が今でも忘れられない。

とにかく勉強と部活と生徒会で染まっていた3年間でした。

高校時代

まあまあ県内でも偏差値の高い高校に進学。
入ってからがびっくり。
勉強できるやつ多すぎ。

とにかく置いて行かれないように毎日必死で勉強した。
それでも差は広げられるばかりで嫌になることもあったけど、
周りには助けてくれる仲間がたくさんいてくれたおかげで楽しく生活できた。

部活はバスケットボール部に入部。
ミニバス(小学生バスケ)時代にお世話になった先輩や、
同い年ですっごく仲の良かった友達との再会で毎日の部活が幸せだった。
本当に幸せだった。

そんな中、高校2年の冬に新型コロナウイルスが流行。
初めは学校が休めてラッキーくらいな気持ちでいたのが、
学校でみんなに会えなかったり、何より部活ができないのがつらかった。
結局、高校3年のころは一度も対外試合ができず。公式戦も一度も開催されずして引退を迎えた。
相手チームでもなく、戦いようもない変なウイルスの脅威のせいで高校バスケが終わってしまうのが悔しかった。

大学の二次試験もかなり変則的になった。
小論文はデータで提出、面接は無し。

みんなマスクを着用して、ちゃんと顔が見れるのはお昼の時間くらい。
でもお昼の時間は前を向いて黙食。
文化祭は中止、体育大会は接触の少ない競技のみで縮小開催。

ぶつける先もなく、なんとか踏ん張ってきた。
頑張ってこれたのは『仲間』のおかげかな。

大学入学

第一志望の国立大学は不合格。
人生初めての大きな挫折だった。
合格発表に自分の名前がないのが分かったときは言葉が出なかった。

県内にある私立大学に入学した。
大きな目標や目的もなかったのが正直なところ。
特待制度のおかげで学費は国立並みに安くなることくらいしか、
大学に入学する理由はなかった。
それと卒業生に県庁職員や役場の職員、警察官など公務員になる人が多かったことも決め手かな。

入学してからは、単位をとるために何となく勉強を頑張った。
ちょっと面白そうだなと思って、自分でバスケサークルを立ち上げた。
その他は特に何もない。
講義はずっと教授の話を聞いているだけ。
隣では爆睡している学生。イヤホンから漏れているYouTubeの音。
これが大学生なんだなと思った。

勉強もサークルも、言ってしまえば
誰でもできること。
誰でもできることだけ続けていても楽しくない、こんな自分を変えたいなと思って飛び込んだ、大学2年秋の長期インターンシップ。
これが自分を大きく変化させた。
これはぜひまたの投稿でお話したい。

すずしゅんのこれから

まーた長々と書いちゃったじゃん。
ここまで真剣に見てくれたそこのあなた。
物好きですね。

僕のこれからは、特に深く考えたこともないんですよね。
世界平和とか日本の景気をよくしたい!、みたいなことは全然考えていなくて。
ただ、僕の手の届く人たちだけでも笑って楽しく過ごせるような空間づくりはしたいなと思っています。それがたとえ1人でも2人でも、僕はその人たちを全力で楽しませます。そして僕自身も楽しくいられる環境をつくります。
そのために今、ラジオパーソナリティーとして情報発信したり、動画を通して地域の魅力を発信したり、学生団体を運営していたりします。
もちろん、自分の成長環境や将来像もありますが、とにかく
手の届く人たちに笑顔を届けたいんです。

文字化するのが苦手なのでこれからについて考えることから
逃げているのかもしれませんが、近いうちに自分なりの答えを出したいですね(就活もあるし)。

おわりに

ちょっとまとまりのない文章でしたが、最後まで見てくださってありがとうございました。

また忙しいことを理由に投稿できない日が続くかもしれませんが、
投稿を見ていただけると嬉しいです。

花粉症のみなさん、頑張りましょう。

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