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続かない読書日記

 読書日記ってさあ、本当に続かないよね~。私は続かないですよ。なんで読んだもの書くだけなのにこんな億劫なのかな。読むのは好きだけど書くのは嫌ってこと?(自分に問いかけている)
 私普段から「読書家ですぅ」みたいな顔して生きているので※(1)、「一週間に(または一か月に)何冊くらい読むのですか?」みたいなことよく聞かれる。毎回「うーん、週による?」と返していたのだけど、まあこの質問をされるってことはまあ、たくさん読んでいると思われたのね……うふふ、って内心ちょっと威張り気味。SNSで「どれくらい読むの?」と聞かれて不快になるという意見を読んだけど私は全然!むしろ鼻高々になってるよ!皆もっと聞いてこ!答えられないけど。
 で、実際何冊くらい読んでいるんだろう。今週だけ数えてみたんですけど、なんと、なんと今週は4冊だった!毎週4冊読んでいれば一か月に16冊くらい読んでいる計算になるし(すげえ!)一年間だったら192冊だ!(すげえ!)でもそんなに読んでないと思うんだけどな~、もしくはもっと読んでいる気がするんだけどな~。どっちかわからない。読書日記をつけたらきっと正確な数がわかるわけだけど。
 どうして読書日記が続かないのか、考えてみたけど二点。
●読了せずに放りだした本をどう扱うかで、いちいち恥じらう。
●読み終わったら感想を書きたいけど、読み終わった後って、たいてい「すげー」しか出てこなかったりして、「すげえ」「やばい」しか言わない頭悪そうな読書日記になってしまう。

 いや、もう忘れてこ、読了できなかった本は忘れてこ。私は移り気なので読了した二倍くらいの本に手を付けているけど、まあ放り出しているよね。あとこれは私の個人的意見なんだけど、いい本って読んでいる最中はそんなん感動もなくて、結局読み終わってしばらくしてから、なんなら読了して一か月くらいたってから「あの箇所よかったよな……」ってふっと思い出したりするの。※(2)
 だから読んだ直後はあまり感想が浮かばなかったりするんですよ……。でもまあ、あほっぽくても何を読んだかくらいメモとして書いておいたほうが、年末になって、ほな一月は何読んだんかいな、って思い出す時いいですよね。一月と十二月なんてもう頭が入れ替わって別に人になってますから、一月に読んだ本なんて覚えてないんですよ!

ちなみに今週読んだ本。
マーガレッド・アトウッド著『誓願』(1/18読了)


 すごい勢いで読んでしまった。『掃除婦のための手引書』を読んでいたのに、ふらっとこっちに浮気してそのまま読み終わってしまった。驚くべきは『侍女の物語』から36年たっているということですよ!『侍女の物語』ってそんなん昔なん!全然古くないやんどうなってんの?!とびびる。あと著者近影のところのマーガレッド・アトウッドが美しすぎてのけぞる。ちょうど映画『もう終わりにしよう』を観終わったところだったので、(これネタバレじゃないわよね)はちゃめちゃやるせない気持ちになって、ブリッジしながら「誰もが!アトウッドのように老いたいと思ってるけど、現実はそうはいかない!」と叫んでいました。こんな面白い話が書けるアトウッドって何者なんですかね。
 アトウッドのことばかり書いてますけど、物語は息もつかせぬジェットコースターでした。私はリディア小母の手記が、最後に誰を想定して書いていたかわかる場面が好きです。ネイル!ネイルね!
 はー面白かった~と一息ついて、昨年はノンフィクション多めだったから今年は外国文学をいっぱい読もう!と決めたり。まだ始まって一か月しか経ってないからまだまだ一年の目標決める期間だよ!

ルシア・ベルリン著『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』(1/22読了)

 実は先週から一生懸命取り組んでいたのだけれど、読み終えるのに大変時間がかかってしまった。短編集ですしね。途中アトウッドに浮気したりしていたし。とても評判になった本だったので、最初はちょっと懐疑的な気持ちで読み始めたけど、私の悪い癖です。ベストセラーだと、「ふん、ちゃらちゃらしおって!」みたいな気持ちで挑んでしまう。ペースがつかめてから(小片一つ一つにカタルシスがない!ということに慣れる必要あり!)「あ~いい本だな~」と思えました。同僚さんが同じ本を読んでいて「中盤から面白くなりますよ」って言ってたけど、確かに。多分慣れてくるよということだったのかも。あとまた別の知り合いの人が表紙を見て「自己啓発本ですか?」と聞いてきてくれた。
 すごい!掃除婦のための自己啓発本!

ソル=ケー モオ著『女であるだけで (新しいマヤの文学) 』(1/22読了)

 現代のラテン文学ってあんまり読んでないよな~とふわっと手に取った本。これね、めっちゃすぐ読めますよ。絵本?!絵本なのかしら?!並みの余白で。一時間くらいで読み終えてしまったんですけど、読んでよかったなと思います。内容は絵本みたいじゃないよ。でも勝手に法廷ものだと思っていたら、まったく法廷ものではなかった。悲惨な生い立ちが延々と語られるからつらい人はつらいかもしれない。私はティバ姉さんがとても好き。
 物語の終盤、虐げられてきたヒロインを救おうという社会活動が起こる一場面(格差的なものも感じるし、そんなにうまくいくかなと思うところはあるのですけど、この本はこの短さできちんと物語を終えるには、ほかにどういう展開にすべきかわからないのでこれでよいのかなと思いました)こういう表現なのですけど、

「上流階級の女性だけの集まりだった運動はすぐに、会ったこともないこの女性を解放してあげたいと思う普通の女性や若い男性が加わった。」

 活動に参加する男性は「若い男性」なんですよね……変なところでリアルだなとハッとしてしまった。笑うところじゃないですけど、まったくフェミニズム活動をしたことがない人が書いたものではないのだな……という気持ちになり、微笑んでしまった。ちょうど田嶋陽子さん(大好き!)のエッセイを浮気して読んでいたところだったのでなんとなくかぶるところもあり……『誓願』『女であるだけで』とフェミニズム関連の本が続きますね。あ、言い忘れていましたけど私はフェミニストです。

谷賢一著『戯曲 福島三部作』(1/23読了)


『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行「──およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない」という言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか? という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』(タイトル長い!)がとてもよかったので、他のも読んでみようと手に取った谷賢一さんの戯曲。
 すごい……すごかったんですよ……!あまりに夢中になってしまい、前作の感想が吹っ飛んでしまった。全部『福島三部作』に持っていかれてしまった……。いや、面白かったよ!面白かったよヴィトゲンシュタインも!一応貼っておきますね。タイトル長いでしょ。



 『戯曲 福島三部作』、登場人物のほとんどに明確なモデルがおり、エピソードも谷さんが取材の上で経験したものや、見聞きしたものが下敷きになっているのです。台詞までも記録に残っているものを使っていたり。それがですね、それなのに、と言うべきか、それがえ?嘘?みたいな物語になっているんですよ……!
 あとこの本、めちゃくちゃ注釈が多くて「ええねん、もうええねん」って言いたくなるレベルで説明、言い訳をしてくるんですけど、これがね、作品にかけた著者の取材の熱量だなと思うと同時に、ちょいちょい注釈に救われたりもして(現実ではこの人物はこのあとこうなった、というのがわかるととても救われる……)本当とても良い本でした……。ああ~良い本読んだ……私谷賢一さんの舞台は観たことがないのですが、Wikipediaで調べてまだこんなに若い人なのだな……とびっくり。週の初めで今年は外国文学をいっぱい読もう!と思ったのがぴょろっと覆り、とにかく現在読める谷賢一の分は全部読もう……となる。
 演劇って作り手としては演劇を見てほしい!というのはもちろんあると思うんだけど、戯曲読んでほしい!っていうのはあるのですかね。『従軍中……』も『福島三部作』も廉価な文庫本で手に入ったらもっと皆に読め読め勧めて歩くのになあ。
 『福島三部作』は動画で舞台が配信されるようでチケットを売っているのを見つけました。でも戯曲でめちゃくちゃ感動した作品って、実際舞台で観ると「あれ……」ってことが私あるんです!たまにあるんです!えーん!私だけかもしれない!皆ある?!でも舞台って舞台で観てなんぼよね?!なんでだろう?! なんか私の脳内の演出家はもう蜷川幸雄レベルの天才演出家なのかもしれん……

※(1)顔しているだけで言わない。言われるのを待っている。ぬふ。
※(2)もちろん読んでいる最中にエキサイトしちゃう本は更にいい本なんですけども!

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