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源氏物語ー融和抄ー源融②

 光源氏と紫の上が出会う段は「若紫」です。この段名はおそらく『伊勢物語』の第一段を引用しているものでしょう。

 『伊勢物語』第一段は、在原業平とおぼしき男が、縁のあった春日の里、現在の奈良県の平城京の跡辺りを訪れた際のエピソードを語っています。
 元服を済ませてすぐのことなので、まだ少年だったでしょう。
 少年は垣根ごしに美しい姉妹の姿を垣間見ます。この様子が、光源氏が垣根ごしに紫の上を垣間見る様子として描かれています。
 少年はその日、信夫文知摺の狩衣を着ており、その裾を切り取って姉妹に歌を贈ります。

春日野の若紫のすりごろもしのぶの乱れ かぎりしられず
春日野の若い紫草で染めたこの狩衣のしのぶずりの乱れ模様のように、
あなた方への恋心を忍ぶ想いで、限りなく心が乱れています

 若紫とは紫草の事ですが、この場合は文知摺で染めた狩衣と姉妹のことを指し、「しのぶ」はその模様の乱れと姉妹への想いで心が乱れている様子を掛け合わせています。
 『源氏物語』では紫の上を指していることになります。
 そして『伊勢物語』では続けて源融の歌を引用し

陸奥のしのぶもぢ 摺り誰ゆゑに乱れそめにし 我ならなくに

 この歌の情緒に倣ったのだろうと、少年の少し背伸びをした行動と恋心を表現しています。昔の人はこんな風に風流に暮していたのだよと伝えているのです。

 このように、信夫文知摺の歌にかけて源融を引き合いに出しているのが『伊勢物語』第一段なのですが、紫式部は光源氏と紫の上の出会いに、この段を引用したと思われるわけです。そこから読み取れる意図は、光源氏に少年と源融の面影を重ねているということです。それはつまり、光源氏越しに源融を見ているということなのでしょう。

 紫式部が夫の藤原宣孝が亡くなった時に詠んだ歌が残されています。

見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦

 見し人というのは親しくしていた人を意味し、見るとは夫婦関係になる事を仄めかす意もあることから、宣孝のことを指していると考えられています。
 つまり、宣孝が亡くなって荼毘にふされ、夕方その煙を見ながら見送ってからというもの、陸奥の塩釜に、やけに親しみを感じてしまいます、といった意味合いになります。

 いろんな解釈が生まれるでしょうが、宣孝が亡くなった時にも、源融が好んだ塩釜の風景とその名、更には塩を焼く時の煙に思いを馳せている、そう思うと、塩釜の地を通して源融自体を偲んでいるように思います。
 この辺りを踏まえても、紫式部が『源氏物語』を書き始めたのは宣孝の死後なのではないかという説に物語り誕生の重みを感じます。

 若紫で紫の上に出会った光源氏は18歳。物語は、危ぶまれるその歳の差を何度も繰り返します。しかし微塵も揺るがない光源氏の思いなのでした。
 紫式部と宣孝も、親子程の歳の差があった夫婦なのですよね。
 そんな事を考えていると、紫式部が文字にしなかった思いが千年の時を超えて、私の心をくすぐります。
 無常の中にも決して褪せないものを、誰かに伝えたくて仕方なかったのではないでしょうか。

 「若紫」の、私が好きな一説です。

小さい姫君も、幼な心に(光源氏を)美しい方だとご覧になって、
「お父様のご様子より、もっとお綺麗ね」
などとおっしゃる。
「では、あのお方のお子様におなりになりますか」
女房が申し上げると、こくりとうなずいて、きっと楽しいだろうと思われる様子である。
雛遊びをなさる時も、絵をお描きになる時にも、源氏の君というのを必ずお作りになって、綺麗な着物を着せ、大切にしていらっしゃるのであった。

『源氏物語』巻一 若紫 円地文子訳 新潮文庫

 解説をするのも気がひけるほど、そっと見守っていたい、そんな情景です。
 姫の横に寝転んで、遊び疲れて眠るまで眺めていたいような、柔らかい春風がよく似合う一コマ。
 幼い紫の上の心に光が灯った瞬間を、こんなに愛おしく書き残した紫式部を、尊敬してやみません。

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