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源氏物語ー融和抄ー序2

本題に入る前に少し、私のことをお話しさせてください。
とあるきっかけがあり、自分の人生を振り返ることになりました。
数年前のことです。
近年よく耳にする「本当の自分」。
本当の自分とは何だろう?
不思議探検隊の血が騒ぎます。
どんどんどんどん、深く探究していきました。
気がつけば、ひとりぼっちになってしまうほどに。

それで分かったのかといえば、正解かどうかは分からないものの、世間のパターンのようなものは分かりました。
人によって、理解の仕方が違うようだと。
本音と建前という言葉が昔からあるように、この本音の部分を本当の自分と解釈しているパターンもあるようです。
それから、自分の魂意識をそれとするもの。
また、自分の魂が属する大元の意識、これを本当の自分と認識することを云うこともあります。
ここになると、それなりの知識と自分(または他者)と向き合う努力が必要になります。
ここで不思議なのは、案外、最初に挙げた本音の中に、この大元の意識が混じっている場合もある、ということです。
もちろん、全てがそうというわけでもありませんが……

そうやって自分を見つめている間に、色々な事が理解できるようになりました。
中でも、仏教で説かれる縁起の法則が体感できたことは私にとって大きな前進でした。
これが自分と思っているものの多くが、外的要因ー環境や人間関係ーの影響を受けていることに気がつくでしょう。

親や友人の影響を受けず、自発的にやっていたこと。
私の場合、それが詩作でした。
後に小説も書いたことがあるのですが、それは当時読んでいた小説家の影響をもろに受けてのことでした。
そして日記です。
何故つけはじめたのか理由は分かりません。
気がつけば日記をつけ、詩を書いていた。子供の頃の話です。
何故か、今は書いていないことが不思議です。
その代わり、2000年頃からは何かしらの方法で、こんな風に公開しながら書いていました。
自分の内面にある世界を言葉にして表現することは、私にとっては欠かせないことらしく、これをストップさせていると、ある時堰を切ったように溢れ出してしまうようでもあります。
そしてそれなのに、言葉にできない、言葉を超えたものがあることも熟知していて、私はどうやらそれを、文字の中や行間にこめているらしいことを知りました。多くの文芸家がそうしているように。

子供の頃に書いた詩は、とても表に出せるようなものではなく、文才のカケラもないようなものたちです。
でも、当時の嘘偽りない思いが、今もまっすぐ心に向かってきました。
かなりくすぐったいものであり、苦笑いが止まりません。

おおよそ西暦1000年頃、平安時代のここ日本で、後に紫式部と呼ばれる宮仕えの女房が、世界最古の長編小説に位置付けられる『源氏物語』を執筆しました。
数多の訳や注釈本が既に存在しているわけですが、それでも書いてみたいと、このPocketを開設しました。

世界初の女流作家と調べると、古代ギリシャ(紀元前7世紀〜6世紀頃)の女性詩人サッポーの名が挙がります。
このサッポーは「10番目のムーサ」と呼ばれました。

ムーサとは、ギリシャ神話において、文芸・学問・芸能を司るとされる、9人姉妹の女神達です。
古代ギリシャの書物には、冒頭で女神ムーサへ向けて呼びかけているものがあります。
ムーサがインスピレーションを与えてくれるおかげで、作品が書けると思われていたようです。

このムーサが英語になったものがミューズ(muse)で、ミュージック(音楽)の語源となります。
また、ムーサの神殿が学堂として発展したものをムセイオンといい、これがミュージアム(museum)の語源となります。

こうして実は、自発的に始めた文芸と外的要因から始めた諸々のことが、結局のところとても近いところで繋がっていたという事が分かってきたわけです。(今の時点ではまだ何が繋がっていたのか不明ですね。少しずつ書いていきます。)
私達人間の存在とは…まだまだ興味が尽きません。

さて、長々と書いてきましたが、ここで私の話は一旦止めておこうと思います。
私の前に広がるこの時空間を、うまく表現できるように
読んでいただく方々の歩まれる道にもまた光がありますように
神々に祈り
神々と共に

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