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読み取るべきは本質か?もの自体か?

私達は、限られた力しか無いから

断片的な影絵しか見ることは出来ない

と言う発想は、古代ギリシャの哲学者プラトンの『洞窟の比喩』から、現在の社会学者マックス・ヴェーバーまで、西洋文明の根底に存在します。

一方、東洋の智慧でも

仏が説くのはその場に合わせた方便

と言う考えで

本来の仏ではない

と捉えています。しかしながら、東洋と西洋の発想には、大きな違いがあります。それは

  • 西洋は抽象的な本質を求め

  • 東洋は具体的なもの自体を求める

と言う違いです。

この理由として、西洋文明には

人間は神の力が無く縛り着けられている

と言う諦めの部分と

古代エジプトの幾何学の成功

と言う、進歩した面の両方があります。幾何学では

理想化した図形で普遍的法則

を見いだしました。こうして

抽象化して本質を見る

と言う発想で、近代の物理学などで、大きな成果を上げました。

さて、東洋でも、大乗仏教の教えが生きる日本では

衆生にも仏の智慧がある

と言う発想があります。そこで

今は方便しか聞けないが
自分もそれを言う仏の悟りを得る

と思うのです。プラトンの洞窟の比喩で言えば

今は影しか見いないが
歩いて別の方向から見ることもできる
自由な力

があるのです。一方、ユークリッド幾何学の影響は薄く

抽象的な理想化による
厳密な論理

の力は使えません。その代わりに

断片的な教えを集め
そこから
法を説く仏の境地になる

と言う可能性を認めます。こうして

固有のもの自体

になるのが

日本的な学びの目標

だと思います。

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