日本の漢文教育の不満
昨日書いた
共通の話題としての物語|鈴木良実|note
の参考に上げた
では、高校などでの
古典教育の必要性
に繋がってきます。
さて、このような古典の大切さは、私も同感ですが、一つ不満があります。それは
漢文の扱いが不十分
です。もう少し言うと
少なくとも平安時代までの真名の位置づけ
が無い点が不満です。例えば
民を縛る律令も漢文
で
漢文が読める
ことが
知識人の特権
と言う状態です。もう少し言えば
論理的な文は漢文
と言う状況は、北条泰時の御成敗式目でも続きます。
余談ですが、明治以降の先人の苦心で、私達は
日本語は論理的
大学教科書も日本語
と言う恵まれた環境にあります。このありがたさを、もう一度味わうためにも、漢文の重要性を知るべきです。
更に言えば
返り点での漢文読み
と言う工夫
の重みも教えて欲しいですね。
なお、共通の話題という観点では
お経の知識
についても、しっかり教えて欲しいと思います。枕草子の中宮定子に対する、清少納言の
「下品下生でも」
の一句は、観無量寿経の九品往生を知らないと、理解できないでしょう。また
三界は火宅
は今でも使われています。
こうした、仏教の影響も、キチンと教えて欲しいと思います。
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