もの自体の実現
昨日書いた
読み取るべきは本質か?もの自体か?|鈴木良実 (note.com)
の議論では
もの自体になるのが学びの目標
を日本文明の特徴と述べました。
さて、これを実現する手法について、もう少し考えましょう。一つの事例は
内弟子や徒弟奉公で
師と仰ぐ人と同じになる
場合です。身近にいて、判断や行動を多く見ていると、自然と同じ発想になっていきます。
しかしながら、こうした修行法は、習得に時間がかかる欠点があります。また、指導者が身近にいないと、実現できません。
さて、後者の指導者問題の解決は
先人の逸話がある
書物などから学ぶ
方法があります。この典型が、仏教の経典や、孔子の逸話をまとめた論語からの学びです。こうした
色々な場面での聖人の言動
を読んで、自らの心の中に
仏や孔子が出現
するようになる。これは
『もの自体』の読み取り
といえるでしょう。例えば『慈悲』という概念を伝えるため、観音経では
多くの変化身や救いの形
を示しています。三十三観音という話もあります。
ただし、こうしたお経や論語には、私達が想定する『書物』のように
体系だった整理
『論理的』な展開
はありません。こうした『論理性』は、古代ギリシャからの、西洋文明の蓄積からでてきました。更に言えば、中華文明では、紙が早期に使えるようになり、西洋文明よりは、多くの文書が書かれました。そこでは
多くの物語
を残す余裕もありました。そこで
比喩と共感での説得
が多く使われます。逆に言えば、西洋文明の
効率的な論理
はありませんでした。
さて、私達は、西洋文明の効率的な論理を学び、多くの教科書は、体系的に効率よく書かれています。しかしながら、こうした教科書は
ある種の理想化で成立
する話が多くなります。例えば、力学では
質量が1点に集中
と言う形で議論をします。
こうした教科書的な理論の成果は
地図を描くが現地ではない
と言う状態が多くなります。そこで
現地を見て補足
する必要があります。言い換えると
教科書理論の骨組みに現実体験を着け
動ける『モノ自体』に仕上げる
必要があります。これは
逸話の積み上げから作る
よりは効率的
ですが
教科書知識だけの仕事は
見落としの危険性
があります。生きた知識は
モノを実現する人材
ににって動かすモノです。
以下の記事も参考になると思います。
出来る化の実現|鈴木良実 (note.com)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?