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ジンギスカン鍋に懲りてアニョーを遠ざけるの法則。

人は経験から学びもすれば、他方で、その経験が未知なる経験を遠ざけることもあるというお話です。あるいは、経験の言語化に由来する損失の話と言っても良いでしょう。


ジンギスカン鍋は北海道由来の料理で、専用鍋で(あらかじめ醤油ベースか味噌ベースのタレにマリネしておいた)薄くスライスした老羊肉を焼きつつ、鍋の外周部で、タマネギ、ニンジン、ピーマン、アスパラガスなどを焼いて食べるもの。好きな人は無性に好きだけれど、他方、老羊特有の(おそらく脂肪由来の)臭みが苦手な人にとってはちょっと勘弁ではあるでしょう。逆に言えば、癖のある食材はいったん慣れてしまうとむしろ依存性が生まれるのかもしれません。



なお、中華料理の老羊炒めの場合、タマネギ、ニンンクを炒め、クミンを振ってエキゾティックな香りをまとわせることも、臭み対策です。



いちどジンギスカンに「だめだこりゃ」と鼻をつまんだ人は、〈羊はまずい〉が刷り込まれて、結果フランス料理の仔羊(アニョー)でさえも敬遠するでしょう。しかし、実は仔羊は赤ちゃんの尻のようにぷにぷにで、生後2週間の仔羊にいたってはまだ牧草を食べず、母羊の乳しか飲んでいないゆえ、臭みはまったくなく、肉の風味はミルキーで気品がある。(罪深いことながら)喩えようもなくおいしい。脂身さえもがまたプラチナのように輝いていて、夢のようにおいしい。「自分もまた神の仔羊」とおもいながらぼくはそっと目を閉じ、そのおいしさに悶絶したものだ。


人は誰もおっちょこちょいであさはかなもの。〈ジンギスカン鍋に懲りてアニョーを遠ざけるの法則〉、類例はたくさんあって。たとえば中国屋台料理店でカエルの串焼きを召しあがったことのある人もいるでしょう。あのカエルはアスリートのように筋肉質で、あれはあれでおいしい。ただし、〈カエルを食べる〉ことに抵抗がある人もまた多いでしょう。淑女のあたしがあんなもん喰えるかよ、みたいな。



これに対して、他方フランス、ブルゴーニュ地方のカエルはこれがまたたおやかで優美でエレガントな肉質で、軽く炒めてミントソースでいただいたりすると、たいへん貴族的である。もっとも、この件によってフランス人は時にカエル喰いと呼ばれ揶揄されることになるのだけれど。


さらにはアメリカのロブスター(ザリガニ)料理とフランスのオマール料理もまた「同じ」食材を使いながらも、しかしずいぶんと趣きが違う。オマールのオフホワイトな肉質はむっちり稠密で、まるでコルセットを脱いだ美女の尻のようだ。そこにはフランス人の食材のおいしさに対する執念深さのたまものでしょう。(もっとも、アメリカとて高級フレンチレストランはたくさんあるゆえ、すばらしいオマール料理をふるまう店もたくさんあるでしょう。)もちろん日本人とておいしさへの情熱はけっして負けてはいなくって、オマールこそ使わないものの、鮨職人の魚介のおいしさ探求はもはや神レヴェルと言ってもいいでしょう。


どこの国の料理人も言葉をそれほど信じていない。自分の舌で感じ、手を動かして調理し、さらにいっそう良い食材を求めながら、自分の料理の世界を作ってゆく。また、ここにひとつの教訓もあって。もしも人生最初の恋人が極悪だったとしても、次の相手は夢のように魅惑的かもしれません。



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