jullias suzzy

アル中の散歩老人。調理好きで喰い意地の張った奴。近眼で老眼。腹がやや出ている。自分では…

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アル中の散歩老人。調理好きで喰い意地の張った奴。近眼で老眼。腹がやや出ている。自分ではお洒落な奴だとおもっている。美女とおしゃべりするのが好き。世間知らず。趣味は偽インテリをからかうこと。掃除が苦手。julliassuzzy.tokyo@gmail.com

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芸術原論「わしらはみんな牛やんけ」

あらゆるお笑いには「型」がある。さまざまな音楽にも「型」がある。そもそもヒトの暮らしのなかにいろんな「型」があって、「型」なくしては社会は成り立たない。 まず漫才の話からはじめましょ。世の中には中川家が好きな人がいれば、チュートリアルに夢中な人も、EXITにキャーキャー言ってる人もいるでしょう。ジャルジャルの笑いはちょっと難しいけどたまにめちゃめちゃおもしろいときあるよね、とか。好みは人それぞれではあるしょう。なるほどどんなことに笑いを感じるかにはけっこう幅がある。だからこ

    • ジンギスカン鍋に懲りてアニョーを遠ざけるの法則。

      人は経験から学びもすれば、他方で、その経験が未知なる経験を遠ざけることもあるというお話です。あるいは、経験の言語化に由来する損失の話と言っても良いでしょう。 ジンギスカン鍋は北海道由来の料理で、専用鍋で(あらかじめ醤油ベースか味噌ベースのタレにマリネしておいた)薄くスライスした老羊肉を焼きつつ、鍋の外周部で、タマネギ、ニンジン、ピーマン、アスパラガスなどを焼いて食べるもの。好きな人は無性に好きだけれど、他方、老羊特有の(おそらく脂肪由来の)臭みが苦手な人にとってはちょっと勘

      • スケベ女のインドレストラン活用法。そしてそれがもたらしたある悲劇。

        南インド料理は、右手の親指、人差し指、中指を使って、たとえばワンディッシュ・プレートのミールスならば、ごはんを汁ものに浸したり炒めものを混ぜるなりしつつ、軽く揉んで、口に運ぶ。インド釜飯ビリヤニとて、同様にごはんをつまみライタにつけたりなどしながら、フィンガー・イーティングで楽しむ。これを背筋を伸ばして行うならばなかなかに優雅である。もちろん南インド人のなかには、右手の掌までカレーまみれにして食べるむさくるしい親父もいるけれど、それはまたそれで野蛮な男っぽい魅力がある。また人

        • 貧乏暮らしが下手な人は、まずはブリのアラ煮に挑戦してみましょう。

          ぼくは自炊派ゆえ、毎朝スーパーマーケットへ行って、魚か肉と、ちょっとした野菜、そして安物のチリワインを選び、なるべく綺麗っぽいお姉さんのレジに並ぶ。(贔屓のお姉さんがしばらく不在なときには彼女のことが心配になる。)レジ打ち担当が美女であろうがなかろうが、ぼくは彼女と二言三言会話を交わし、家に帰ってワインを飲みながら調理する。 そんなぼくがおもうことは、貧乏生活が下手な人が増えていること。なぜって、籠にカップラーメンだの冷凍餃子だの、食パン、菓子パン、スナック菓子にプッチンプ

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        芸術原論「わしらはみんな牛やんけ」

          就職氷河期世代以降の文学とは?

          『日本語散文盛衰記。(どのような過程を経て、まともな本は読まれなくなってきたか)』という文章を先日ぼくは書いた。一方で漱石、太宰、三島、村上春樹を概観し、他方で岡林信康、吉田拓郎、中島みゆき、ユーミン、松本隆を絡め、加えて近年の国語教育の文学離れを交差させ、日本人の散文離れを論じたものである。 するとこのエントリーのコメント欄に街田侑 さんがコメントをくださって、それをきっかけにぼくらは文学談義をさまざまに愉しんだ。なお、ぼくは哲学書を読むのが趣味であるせいもあって、たとえ

          就職氷河期世代以降の文学とは?

          言葉という魔的なもの。(なぜキリストもお釈迦さまもソクラテスも本を書かなかったの?)

          もちろんその理由は、言葉というものがつねに状況とともにあって、話者と相手の関係のなかで意味が生まれるもの。したがって、いったんその文脈を離れてしまうと言葉はどのように「理解」されるかわからない怖れがあるからでしょう。いまでいう「切り取られた発言」の恐ろしさ、芸能人に頻発するブーメラン現象などという話にも通じています。 書き言葉は情報であり、いったん発表されてしまえば、文字列は固定され一切動かない。(もっとも、ネットの場合は加筆修正もできるし、本の場合も増刷時に改版もありえる

          言葉という魔的なもの。(なぜキリストもお釈迦さまもソクラテスも本を書かなかったの?)

          スケベ男の修辞学。

          ナンパ系アダルトビデオを見ていて、感心したことがある。男は言葉巧みに女をホテルに引きずりこむことに成功。女はお約束として夜景など眺めてみつつ、これから起こることへの期待がそわそわと高まっている。男は優しくゆっくり女の服を脱がせてゆく。やがて彼女は下着姿にされ、男はそっとブラを外す。女の乳房が現れる。男は囁く、「わ。綺麗。おっぱいおおきいね。彼氏うれしいね。」 このせりふにぼくは感心したものだ。「彼氏うれしいね」、なかなか言えるせりふではありません。なぜって、もしも巨乳好きで

          スケベ男の修辞学。

          映画『PERFECT DAYS』はズボラなぼくに、便所掃除をする気を起こさせてくれた感謝すべき映画ではあるけれど。だが、しかし・・・。

          グローバル資本主義から降りた、しょぼくれて地味な人生にこそ幸福が宿りうる。そんな世界観について(多少の共感を持ちつつも、相応の疑いをも込めて)の考察です。 あのヴィム・ヴェンダース監督、映画『PERFECT DAYS』は、役所広司(68歳)演じるところの、夜に輝くスカイツリーのそばにある、墨田区押上の木造モルタル棟割りアパートに住む、心優しく知的で寡黙な公共トイレ清掃員の、極端なまでにミニマリスティックで形式化された、貧乏ながらも毅然と美的な、まるで禅僧のような生活を描く。

          映画『PERFECT DAYS』はズボラなぼくに、便所掃除をする気を起こさせてくれた感謝すべき映画ではあるけれど。だが、しかし・・・。

          「わたしは顔のない女」と女性歌手Allie Xは歌う。80年代初頭のエレクトリック・ポップを再活用しながら。

          アリー・エックスはロスアンジェルスを拠点に活動するトロント生まれのカナダ人女性歌手。彼女は歌う、「わたしは顔のない女」。もしも深読みするならば、サルトルの『存在と無』のエコーが感じられなくもありません??? サウンドには堂々たる時代錯誤があって。1980年代初頭のポップ・ミュージック・シーンを覚えている者ならば誰だって、Depeche Mode を、joy Division を、Cocteau Twins を、The Human League をおもいだすことでしょう。

          「わたしは顔のない女」と女性歌手Allie Xは歌う。80年代初頭のエレクトリック・ポップを再活用しながら。

          着る服で自己表現をすること。川久保玲さんを例に。

          〈イメージを読む/イメージを使って自己表現をする〉についてのお話です。 たとえばコム・デ・ギャルソンを率いるデザイナー兼経営者の、川久保玲さんの前髪パッツンの髪型は、目力を強調しています。よく身につけておられる黒革のライダーズジャケットは、闘う女であることを表現し、ふわっとしたロングスカートはファミニンさをアピールしておられます。そのスタイルはまさに川久保玲のアヴァンギャルド精神を表象しています。彼女を見てぼくは学んだ、ファッションってこういうふうに使うものなんだということ

          着る服で自己表現をすること。川久保玲さんを例に。

          高級蕎麦屋はジャズに頼るな!

          石田幹雄(p)+山田丈造(tp)のライヴがすばらしいっていう話をしたいのだけれど、まずは前振りから。 日本人にジャズ好きは多いでしょ。とくに戦後世代のタモリさんから村上春樹さんあたりの世代のジャズ好き熱量にはものすごいものがある。(ミュージシャンで言えば、ピアニストの渋谷毅さんにあの世代のジャズ愛を熱烈に感じる。)もちろんそこには大東亜戦争=第二次世界大戦敗戦後のGHQによる戦後処理、日本人をアメリカ大好きにすること、の影響があるのでしょうけれど。 しかも、じっさい195

          高級蕎麦屋はジャズに頼るな!

          荒川土手で夕陽を浴びながら野花を摘んでいるマダムをおもいだしながら、ぼくはレイチェル・カーソンを読んでいる。

          きのうぼくが鞄に靴とワインボトルを入れて、アーシングを楽しみながら裸足で荒川土手を歩いていたら、川沿いの緑のなかで、高齢マダムが野花をたくさん摘んでおられた。ナズナ、ハルジオン、カタバミ、ヘラオオバコ、オオイヌフグリ、オオマツバウンラン・・・。 彼女は言った、「わたし生け花をやってるの。家族もみんな綺麗ね、って言ってくれますから。いまの季節だけね、野花がこんなに綺麗なのは。」 いまぼくは海洋生物学者でエッセイストのレイチェル・カーソンの『センス・オヴ・ワンダー(驚きを感じ

          荒川土手で夕陽を浴びながら野花を摘んでいるマダムをおもいだしながら、ぼくはレイチェル・カーソンを読んでいる。

          茹でガエルジャパン。円安貧乏化が止まらない。Weak Yen Poor Japan.

          いやぁ、円ってなんでこんなに弱くなっちゃったの??? 2022年以降の円安傾向、まったく止まりませんね~。2024年4月19日なんと1ドル154円をつけちゃった。34年ぶりの災厄的低レート。2022年末までは1ドル120円未満でしたから、日本人はこの1年半で3割がた貧乏になりました。近年日本人の年収の中央値は400万円です。しかも、円安がどこまで進むかは誰にもわからない。(なお、東アジア他国の通貨もまた連動して対ドルレートが下がっています。) アメリカによって変動相場制が導

          茹でガエルジャパン。円安貧乏化が止まらない。Weak Yen Poor Japan.

          映画『ブルックリンでオペラを』をあなたは絶讃しますか? あるいは糞映画と見なしますか?

          ぼくは後者です。だって人間心理への洞察が浅く、ロマンティックコメディなのにロマンスのせつなさ切実さを感じない。しかもプロットがあまりにもご都合主義で荒唐無稽なんだもの。(たしかにシェイクスピアの喜劇だって、むちゃくちゃな展開の作品もありますけどね。)ところがね、不思議なことに物語を紹介しはじめるやいなや、これがまるで超おもしろい映画みたいにおもえちゃう。したがって、読者のあなたは、どうぞお気をつけてこの文章をお読みください。 脚本および監督は劇作家アーサー・ミラーのお嬢さん

          映画『ブルックリンでオペラを』をあなたは絶讃しますか? あるいは糞映画と見なしますか?

          誘惑はすばらしい芸術である。

          出会い系アプリが増えれば増えるほど、誰かと出会うのは難しくなる。 これはフランス版VOGUEの記事で、さすがデカルトの国であるとともに恋愛と性欲に正直かつ肯定的な国、フランスらしい言い方で、出会い系サプリ利用の注意事項を語っておられます。記事は読者にアドヴァイスする、「アルゴリズムにすべての作業を任せないで。なぜならいまでは数回クリックするだけで多くの人と出会うことができる。でも、それは誘惑ではありません。La séduction est un art magnifique

          誘惑はすばらしい芸術である。

          少女が愛する父の、心の秘密を嗅ぎ取ったときから・・・。(映画『エル・スール』)

          8歳の少女は父を愛し、自分が父から愛されていることをわかっている。父は霊能者(ダウザー)で、鎖状の振り子を用いて(たとえば井戸をふさわしい場所に掘るため)土地の水脈を読む仕事などを手掛けている。ある日少女は父親の仕事を手伝う。少女は確信する、そのとき自分が父から魔法の力を授けられたことを。 物語はスペイン北部の街を舞台にしている。なお、もともと父親は南部の人だったものの、しかしスペイン市民戦争終戦後、北部へやってきて、家庭を持った。かれは教会へ通う習慣を持たず、孤独を愛し、

          少女が愛する父の、心の秘密を嗅ぎ取ったときから・・・。(映画『エル・スール』)